電気技術解析記述法発展史:(その2) Faradayの偉業:電磁気工学の誕生
52.1 Faradayの偉業、電気&磁気の合体、そして科学から電気工学への道を拓く。
1820年、
Hans Christian Oersted(1777-1851)が実験で電気が磁針を動かす(力を生ず
る)磁気を作り出すことを示しました。 また
Andre Marie Ampere(1775-1836)は同じ
年の12月にこの磁場を介して磁針が動く力はループ回路の微小区間の電流が作る微小
な力を区間積分することによって回路全体に働く力として計算できることを数学的に示し
ました。前回はここまででした。 今回はいよいよFaraday の登場です。
Michael Faraday(1791-1867)は厳格な戒律のサンデマン派キリスト教徒の家庭の第三
子としてロンドン近郊で生を受けました。貧しい家庭に育ったFaradayはろくな学校教育
も受けることなく14歳で小さな製本屋に雇われます。 製本のために送られてくる厚
い印刷紙の束の中身に強い関心を示し続けた彼の知識欲はついに止みがたく,1813年に
当時の高名な科学者Humphry Davy(1778-1829)を訪れての研究室の助手として働
くことを乞い許されました。Daby の小間使いです。
1813年から1819年の時代、炭鉱の照明用ランプによる火災とかメタンガス中
毒等が大きい社会問題でした。FaradayはDaby の実験室で働くなかで鯨油の蒸留
実験・燃焼実験や樟脳の気化実験・燃焼実験などの様々な実験体験を通じて物質
の固体性とか可分性・揮発性・燃焼性などについて化学的な知見を積み上げてい
きました。 Daby の助手としてではありますが彼自身の独創的方法でたとえば
次のような事実を発見しています。
「メタンガスの爆発はメタン:空気=1:7~8の時に最大になる。」
「メタンはメタン:炭酸ガス=1:7あるいはそれ以下では爆発しない。」
Faraday は1820年2月ごろから自分の行った実験を日々克明に記録を行うよう
になり、その実験記録は42年間続いていてその記録ノートは今も残されているそ
うです。彼にとって実験結果を正確に記録することは実験後に試験管を洗うのと
同等のルーチンでした。 Faraday は高等数学等の知識は皆無でしたがその真摯な人
柄に加えて極めて旺盛な創意工夫と綿密な実験,また几帳面な観察と正確無比に記録する
習慣は彼の弱点を補ってあまりあるものがあったといわれます。
Oersted とAmpere の1820年の大発見の報告に刺激されてFaraday は良く1821
年から電気と磁気の研究を始めます。この当時は磁針が北を指す不思議な魔力の
針として航海術に重宝され始めていたので方磁石が社会的に強い関心事になって
いました。 1821年には「電気によって生ずる磁気現象」はヨーロッパの科学界
の最先端テーマになり、何人かの学者による解説記事や追認論文も発表されまし
た。 FaradayはAmpereや他の学者による数学式を理解する事は出来なかったの
ですが物理現象として「電流によって目に見えない磁場(のようなもの)が作ら
れ、その磁場が作用することで磁針に力が働く」ことは明快に理解していまし
た。 このころすでにFaraday自身もイギリスの雑誌科学記要9月号に依頼文書と
して平易な解説記事を書く機会などもありました。 ただFaradayには物足りな
さがあった。 電気や磁気に関する科学者たちの解説記事はどれも定性的な理屈
に偏して誰が見ても判る実験証明が不足している。 Faraday はこの時から電線
と電池を使った実験に心血を注ぐことになります。
Faraday は電線のそばに磁針を近づけた状態で電線に電池を繫ぐと磁針が振れ
る(磁針に力が働く)ことを自身で確かめました。ここまではすでに何人かの科
学者がOerstedおよびAmpere の追認実験として行っていました。 しかし今や
ファダデーはこの現象を新しい目で見直していました。電線に電気を加えると磁
石が動く。それでは磁石が固定された状態で電線に電気を繫げば電線が動くので
はないか? 目に見えない力をはっきりと見える形の物理現象として実現したい。
図52.1(a)はFaradayが1821年に実現した実験装置です。 円筒ガラス瓶の底に
水銀を入れてその上にコルクを浮かせる。 1本の電線の下端をコルクに突き刺
してその先端を水銀に接触させる。さらに水を注いで電線の下端が導通状態で動
くようにしました。 電線の上端は銀カップを逆さまにして中央に穴をあけて電
線の上端を通した。 電線は上下端が導通のままで水銀に浮くコルクに支えられ
て動ける仕掛けです。 電線に電池を繫いだ状態にして磁石を近づければ電線が
動くのではないか? 遠ざければ逆方向に動くのではないか?
Faraday の予想は的中して磁石を近づけると水銀に浮くコルク栓に刺さってい
る電線はくるりと動きました。 電線が磁石の動きに沿って瓶の中で回り出しま
した。 電気と電池だけの仕掛けで電線が力を得て動いたのです。 Faraday は
実験日誌に次のように書き込みました。
「電線に動く力は、常に磁極と結ぶ線に直角に働く…磁石の極を中心に置く
と電線はその周りを連続的に回る…電池と電線の関係は元のままで、こう
して磁極の周囲に電線の回転運動が得られる。 …だがもっと実際的な装
置を作る必要がある。」
Faradayはこの実験で「電気の流れている電線のそばで磁石を動かせば(磁気を
変化させれば)磁石の動きに合わせて電線が動く(力が働く)」ことを示したの
です。 この実験は現代のモータの基本原理そのものですね。
Faraday は早速に「ある新しい電磁的運動および磁気理論について」という16
頁の論文を一気に書き上げて公表しました。1821年10月です。
ところで1821年といえばFaradayはまだ30才、雇い主Dabyが会長を務める王立
研究所の化学関係のしがない実験助手でしかありません。 彼が論文を発表した
時、Dabyはたまたま出張中であったので事後報告になってしまったことで叱責
を受けました。また当時彼が実験に先立って他の科学者から得ていた情報等に特
段の謝辞を述べなかったことなどが理由で科学界で厳しい批判と非難にさらされ
ることになります。「無学の雇われ助手の分際で・・・」ということだったので
しょう。 Faraday はその後の10年間ほどは電磁気の実験から遠ざかり、もっぱ
ら化学物性的なテーマで実験を行うしかありませんでした。 2025年、34才にな
ったFaraday は実験に関する実力が認められて実験王立研究所の実験室長になり
ました。 同研究所で定例的に開かれる公開講座の講師としての出番も多くなり
ました。Faradayの行う公開実験付きの解説は平易で誰にもわかり易く、彼の名
声は高まっていきます。
1831年、Faraday は再び電気に取り組む余裕ができました。 鉄の棒の周りに電線
を何度も巻き付けて電流を流せば鉄の棒が磁石になる。 このことは既に公知であり
Faraday も勿論知っていました。 Faradayは「その鉄の棒をまげて環にしてその周り
に二組の電線を巻き付けたうえで一方に電流を流したら何が起こるだろうか?」とい
う疑問をいだきます。彼はこれを確かめる実験に取り掛かり、鉄環に二組の電線を巻
き込んだ見事な実験道具を作り上げました(図52.1(b))。 この一方の電線に電流を
流したら二本目の電線に何がおこるか? Faraday はその結果を予想できたからこそこ
のような手の込んだ実験装置を作ったのに違いありません。1831年8月のことです。こ
れはもう私たちが知る単相
2巻線変圧器モデルそのものです。
彼は二つのコイルをA、Bと名付けて、コイルBは1mほどのリングにしてそばに磁針
をおきました。そしてコイルAに電池を繫いで電流を流しました。 磁針は電池を繫い
だ途端に予想通りに動きましたが、予想に反してすぐに元の位置に戻ってしまいまし
た。 コイルAから 電池を外した途端にまた磁針は振れました。 コイルBはただルー
プ状なだけであり電池を繫いでいないのに過渡的ではあるが電流が流れたからこそ磁
気が作られ磁針が動いたのです。 この結果は彼の予想通りでした。Faraday が
電磁誘
導の動かぬ実験証明に成功した瞬間でした。
Faraday はこの実験をさらに発展させてその後2か月ほどの間に12個の実験装置を作
っていろいろの実験を繰り返しています。そのうちのもう一つの素晴らしい実験があ
ります。 彼は直径約2cm長さ20cmの筒状のヘリカルコイル(ソレノイド)を作り両
端を結んでループ回路にしました。 筒状のコイルに棒磁石を急激に挿入すると検流
計の針が激しく動いた。抜き出すと磁針は逆に動いた。 これこそ人類初の交流発電
機が実現した瞬間です。 棒磁石を上下に動かし続ければ交流電気がコイルに流れ続
けるのです。
Faradayの行ったこれらの実験は理学的には①
電気と磁気の可逆的な自己誘導と、➁
可逆的な相互誘導が明快に示されました。 がそれ以上の重要な意義として
電気を造
り使うという工学的な道具としての活用の道を開いた画期的な実験であったといえる
でしょう。 機械的に磁石を動かし続ければ電気を作り続けることができるのです。
また電気と磁石で力を造り続けることができるのです。磁気誘導(Magnetic Induction)に
よって工学的な概念 ”発電”と“電動”が誕生した瞬間です。
磁石を動かして電気が作れるならば水車や蒸気機関で磁石を動かすことによって電気を
を造り続けることができる。また,その電気で力(パワー)を造り作り続けることができ
る。
蒸気機関に代わって電気という新しいエネルギー獲得(発電機)と利用(電動機)が
実現できる可能性に世界の人々が気付いた瞬間であったともいえるでしょう。興味深い科
学の対象でしかなかった電気・磁気現象が Faradayの実験が公表された1831年以降は産業
用エネルギー利用の主テーマとして一躍注目されることとなったのです。 Wattの蒸気
機関に匹敵する人類史上の大金字塔といえるでしょう。

アメリカ人のJoseph Henry(1798-1878)は1830年にFaraday と同様の電磁誘導実験に成功
していました。Henry は誘導現象について自身の考察を詳しくノートに記録し、また電
磁誘導を示す様々な実験記録を残しています。ただHenryはその成果を詳しく論文
として公表することもありませんでした。
1837年,Faraday は
Charles Wheatstone(1802-1875)と共にアメリカにHenry を訪ねてい
ます。Henryが二人の前で実験を披露したとき、Faradayは「Hurrah for the Yankee
experiment」と叫んで拍手喝さいをしたと云われます。
52.2 Faraday の法則
電磁気学の本を開くと
Faraday の法則として次のように書かれています。
Faraday’s Law
1つの回路と鎖交する磁束()nϕΦ=の変化によって
起電力eを誘起する(Induce)現
象を
電磁誘導(Electro-magnetic Induction)と名付ける。
1つの回路に電磁誘導によって生ずる起電力は、この回路に鎖交する磁束数の減少
する割合に比例する。
Faradayは1821年の
自己誘導実験で磁束の変化速度と発生する電流を作る電気の大き
さ(起電力)に比例関係があることを見つけていたのです。式で表せば次のようになるでしょう。

Faraday が1831年に実現した
相互誘導実験モデル、すなわち鉄環に巻き付け
た2つのコイルの実験を今日的な単相2巻線変圧器(図52.2)の理論として書いてみましょう。
52.2 単相2巻線変圧器モデルの回路理論
Faraday の作った実験モデルはすでに
単相2巻線変圧器モデルそのものです。 今、➀コ
イルの抵抗と漏れ磁束および➁鉄心の熱損を無視した
理想的な変圧器(図52.3)とします。
コイル1,2の巻き回数を
n1,
n2 とし、また磁気抵抗を
R1,
R2 とします。
いま、鉄心磁路の透磁率
μ,断面積を
S,長さを
lcore とすると
磁気抵抗は
磁路長 lcore に比例し
、
透磁率 μ と
磁路断面積Sに反比例する。これは磁束の通る磁路ループに関する式として
直感的にも理解できる磁路に関する基本式ですね。 鉄心の磁路長を
lcore とし断面積
S は
鉄心のどの部位も同じとすれば

コイル1、およびコイル2の電流を
i1,
i2 として、磁気抵抗
Rcore の磁路に起磁力
n1・i1 (アン
ペアターン)と
n2・i2 が加わって主磁束
φmain が発生する。したがって
L11,
L22 は1次、2次コイルの自己インダクタンスであり
M は相互インダクタンスです。
なお、Faraday の時代にインダクタンスという言葉などありません。 電磁気学が体系化
された中で磁束
Φ あるいは
φ と電流
i の比例係数がインダクタンスと定義されて次式のよ
うに表現されることになりました。

以上は理想変圧器の一般式です。理想変圧器では
L11・L22=M2 の関係が成り立っているこ
とが理解できます。
また理想変圧器では次式も当然成立しています。

式(52.4a)の第2式について
e1/n1=e2/n2 および
n1・i1=n2・i2 の条件を使って書き代えると

理想変圧器においては式(52.4a)の1行目の式と2行目の式は一つの関係式をコイル1とコ
イル2の両方について説明しているということになります。
漏れ磁束とコイル抵抗を考慮する場合
実際にはコイル1の電流
i1 が作る鎖交磁束数
L11・i1 のうち大半の鎖交磁束数
n1・φ1 (例え
ば98%)は鉄心を通る主鎖交磁束数
n1・φ1 となってコイル2とも鎖交するが、残る2%の
磁束はコイル1の漏れ磁束
l1leak・i1 となる。またコイル1には抵抗がある。 したがって理
想変圧器のコイル1の起電力
i1 と端子電圧
v1 抵抗
r1 と漏れ磁束
l1leak による電圧降下が生ず
る。コイル2についても同じです。 したがって

式(52.5)(52.4a)より端子電圧
v1,
v2 の式として次式を得ます。

今日の電磁気学で比例係数として定義されている磁気抵抗
Rcore 自己インダクタンス
L11
相互インダクタンス
M などはFaraday の時代には存在しなかったわけですが、Faraday は自己誘導と可逆的な相互誘導を全て発見・実証したことになります。

Faraday は1867年76才で没します。 その直前の1862年、Maxwell はFaradayの様々
な実験記録を踏み台にして電磁波理論を組み立てることになります。 次回以降でぜひ書
きたいと思います。
(2024年8月20日 長谷良秀 記)