電力技術理論徒然草 No.59 (長谷良秀) 
     
電気技術解析記述法発展史(その9)


  No.51から電気・電力の記述法発展史を書き始めて、前回&前々回のNo.57,No.58 ではMaxwellが組み立てた19世紀最大の科学的偉業ともいうべき電磁波理論について 解説してきました。 方程式が沢山登場して読むのに苦労されたかもしれませんが多 少は頭の体操になったでしょうか? 今回はFaraday以降の19世紀半ばの時代の科学 史に話を戻して解説を続けます。 科学史の視点でMaxwellの電磁波理論を振り返ると き、Maxwellが理論構築を行う過程で重要な踏み台とすることができた二人のイギリ ス人大科学者の存在を忘れることはできません。 その二人とはJames Prescott Joule とWilliam Thomsonです。今回はほぼ同時代の科学者として 互いに親交のあったイギ リス人 Joule, Thomson, Maxwellの足跡をミニ技術史として振り返ることとします。

59.1 熱力学の巨人 James Prescott Joule(1818-1889)
  Jams Prescott Joule(1818-1889)はマンチェスター生まれのイギリス人です。裕福な 醸造家の生まれで、正規の学校教育はほとんど受けず家庭教師の指導を受けた程度と 云われます。 成人してからは醸造業を経営する傍らで自分の実験室を持って独自の 研究を重ねました。

Joule はボルタ電池を使って電磁石の様々な実験を行い、“電磁石の引力は電流の2乗に 比例する”、すなはち F=k・i の関係にあることを発見します。 Jouleはこの実験結果 を得たことに自信を深めて、電気・電流に強い関心を強めていきます。 特に電気が 熱に姿を変えうることに注目します。 ボルタ電池につないだ導線を水槽に入れて電 流を流し、それによって水の温度を上昇させる実験を繰り返しました。そして電流iに よって発生する熱量 Q は電流 i の二乗と電気抵抗Rに比例することを発見します (1840)。 磁石の引力の場合と同じ関係式になりました。Jouleの第1法則です。



  現代のMKSA有理単位系で示せば Joule = watt x sec secJoulewatt=×ですから次式のようになりますね。



  さて、Jouleの実験で電流によって熱が生ずることは明らかになりましたが、この熱 がどこから来るかは明らかではありませんでした。 熱に関する当時の科学界では“熱素 説(熱は物質である)”が一般常識と云える通説でした。 “熱運動説(物質分子の運 動である)”という考えはそもそも“分子”の概念が定まらない当時としては誰も思いつ く事すら困難な概念であったでしょう。

  Jouleはさらに工夫を重ねます。錘の重さによって水槽内の羽根車を回転させる仕掛 けを用意しました。錘を下向させて水中の羽根車の回転で運動する水の温度を測定す るのです。この実験でも水温が上昇しました。 その水温上昇度の精密測定を繰り返 したのです

  錘の下向移動させるこの実験ではボルタ電池は使っていないので「電池から供給さ れた電流中の熱素が水に溶け込んだ結果水温が上昇した」という熱素説的な考えを明 確に否定しています。「錘が移動したことによる仕事量が熱を生じさせた(熱は運動の 結果である)」ということが明らかになりました(1843)。この実験結果は「位置のエネ ルギー・運動エネルギー・電気エネルギー・熱のエネルギーのエネルギー保存則」を 、そして「エネルギーと仕事の因果関係」を強く示唆する大実験となりました。
Jouleはその後も熱の仕事等量の実測に注力しています。 そして「機械的力が消費さ れる時にはそれに等しい量の熱が得られる」と結論します。 そして仕事等量と熱量 の比例係数として現在の単位で表現すれば J=4.5[J/cal] の数値を得ます。

  現在の私たちは現在のMKSA有理単位系で次の関係式を知っています。



ジュールはまた別の実験として空気を水中で圧縮・膨張させ、そのときの水の温度変 化から熱の仕事当量 J=4.29[J/cal] を求めました(1845年)。この実験では空気を膨 張させたときは温度が下がることを示して「熱が仕事へ変換できる」ことをも実証し ました。 彼は仕事と熱のエネルギーとしての可逆性を両方向の実験で示したことに なります。 Jouleは実証的な方法でエネルギー保存側に最も早く辿り着いた科学者の 一人であると言えます。

  Jouleのもう一つの偉大な発見として熱力学に関するJouleの第2法則について紹介し ます。彼は気体(空気)を密閉器に閉じ込めた上でその体積を変更しても気体の温度 が変化しないことを実験で示します。 二つの容器を弁で間仕切りしてその一方に気 体をいれます。そして弁を開いて気体の収納体積を変更する膨張実験です(図59.1(b)参 照)。この時、気体が膨張してもその温度は変わりませんでした。 この実験では「気 体の体積は増えたが容器の外側に対しては何ら仕事をしていないから気体の熱量が変 わらない、したがって温度も変わらななかった」と理解できます。 Jouleはこのよう な精密実験を色々行いました。 そして「理想気体の内部エネルギーは温度Tのみに 依存し、その体積Vや圧力Pに依存しない」とする重要なJoule第2法則を見出したの です。 Jouleの第2法則も密閉気体の熱素説を完全に否定し、後の時代に明らかになる 分子の振動エネルギーに道を拓く大法則となりました。

  Jouleは1841-47年にかけて私たちがJouleの第1法則・第2法則と呼ぶ立派な論文 を公表しますが無名のJoule の論文は大方の科学界からは無視あるいは異端視状態で した。 そのなかでいち早くJoule論文を高く評価したのはWilliam Thomson でし た。 このころからThomson とJouleの親交が始まり、二人は共同研究を行うほどに 親密な関係となります。

  ThomsonはJouleに「気体を自由膨張させると温度がわずかに下がるのではない か」と示唆します。 そして二人の共同研究がスタートしました。そして1852年には 共同実験の結果として「高圧室から低圧室(or自然空間)に気体を急激に押し出すと 気体温度が低下する(∵気体分子の運動量が増えた結果その分だけ熱エネルギーが失 われるため)」ことが発表されます。Joule-Thomson効果です。 熱運動説を確信する 二人の予想通りの実験結果を得たわけです。

  この時Joule は34才でほぼ無名の研究者、Thomson は29才で既に知名度高き一流 科学者となっていましたが、二人は互いを高く評価する研究仲間となります。 1847 年以降、JouleはThomsonの後押しに加えて流体力学で有名なGeorge Gabriel Stokes(1819-1903アイルランド人) やFaraday等の一流学者もJouleの業績を高く評価 する理解者となっていきます。 Jouleに対する学者としての評価は高くなっていきま した。 Jouleは1852年以降もこの実験を繰り返して精密測定に注力しました。



59.2 場の理論を導いた巨人WilliamThomson (1824-1907)
  さて次はWilliamThomson (1824-1907:後に爵位を得てLord Kelvin)についてその 足跡を記します。彼はアイルランド生まれのスコットランド人です。僅か10歳でグラ スゴー大学を卒業し、さらにケンブリッジ大学に進みます。在学中の1842年ごろから 独自の研究に取り組み始めて1845年に抜群の成績で卒業します。1846年には若干22 歳でグラスゴー大学の教授に就任しています。

Thomsonは当時の最先端物理学のテーマとして熱力学と電磁気学の両方に強い関心を 寄せ、様々な功績を残しています。 そのいくつかを箇条書き的に羅列してみます。

  • Faradayが明らかにした電磁誘導現象を理解する手段として電場&磁場という「場 の概念」として理解する数学的な表現を与えました(1845)。この中で透磁率とい う概念を導入します。 Thomsonは熱現象と電磁気現象の類似性について確信が ありました。 「空間に熱分布があり熱導電率があるように、磁界分布があり透 磁率がある」と考えたのでしょう。そして「分布には大きさと向きがある」と考 えたのでしょう。 物理現象を説明する数学的手段としてベクトルを初めて使っ たのはThomson であるといわれています。 Thomsonは熱空間や電磁場空間を 今様に言えば“スカラー場”と“ベクトル場”として理解しようと考えたのでしょう。 彼のこのような考え方は10才年下の師弟関係にあるMaxwellに重大な示唆を与え ることになります。

  • 「温度は物体中のエネルギーの総量を示す」という概念を発表します(1848)。 「物体がそのエネルギーを全部放出すれば物体は運動を停止する。 その時温度 は最も低くなり、それ以上に下がることはない」。 これは絶対温度の概念で す。今私たちは-237度Cが絶対温度0K(単位ケルビン)であることを知ってい ます。

  • 熱力学第2法則を定式化しました(1850)。 熱はエネルギーの一形態である(熱素 によるものではない)という前提に立ってカルノー(Carnot)サイクルの定式化を 行いました。 その結果として「(外から仕事をしない限り)熱を低温の物体か ら高温の物体に移すことはできない」あるいは「熱機関というものは高温熱源か ら得た熱量のうち一部のみを仕事に変換することができて、残りは熱エネルギー として残り低温熱源として残る」というような事実を明らかにしました。

  • Jouleと共同研究を行い、Joule-Thomson効果を発見しました(1852)。「気体を自 由膨張させると温度が下がるのではないか?」という予想をThomson がJouleに 伝えます。そして二人の共研が始まり大掛かりな実験装置で精密測定を行い、細 いノズルから気体を勢いよく噴出させる実験で予想通りの効果を立証しました。

  • 「温度勾配がある物質に電流を流すと熱の移動が生ずる」という現象、いわゆる Thomson 効果を発見します(1851)。

  • 通信用電線に加える信号電圧と、それによって流れる電流に関する回路計算法に ついていろいろ先駆的な貢献をしています。 たとえば信号発信回路の理論を示 しています。これは後にHertzの電磁波実験成功に大きい道標となりました。ま たモールス電信信号を送る通信用電線回路について電線が抵抗定数 RK 定数 (今様に言えばキャパシタンス C)から成る回路と見做して、矩形波信号電圧が 減衰程度を算出する計算方法として次式を提唱しています(1855年)。


    この式は後の1888年にHeaviside によってLCR回路から成る分布定数回路計算 式としてとして改良修正されますが、当時としては有線通信を設計建設するうえ で必須の基礎理論となっていきました。なおこの式については後日にHeaviside の功績として説明したいと思います。

  1907年、83才で亡くなるまで当時としては長生きしたThomsonは1850年以降も イギリスの科学者として、また大学・アカデミー界・工業技術界の重鎮としていろい ろの活躍をします。 たとえば熱伝導理論を基礎として地球の年齢推定や太陽の寿命 推定等の学術的活躍の一方で英仏海峡海底電信号ケーブルの敷設への貢献(1862),海軍 用航海用精密磁気コンパスの発明(1876)など実用技術の方面でも存在感を増していき ました。 1892年に爵位を得てLord Kelvin(ケルビン卿)を称されるようになりまし た。 Thomsonの名誉も絶対温度を示す単位名ケルビンとして後世に名前をとどめる ことになりました。



59.3 19世紀の頂点, James Clerk Maxwell(1831-1879)の偉業
  さていよいよ James Clerk Maxwell についてミニ伝記を記す順番になりました。 Maxwellはイギリス・スコットランドの名門の出身です。父は高名な弁護士でした。 Maxwellは16歳でエデインバラ大学に進み、更に1850年ケンブリッジ大学に移りま す。彼はこのころから論文発表等を通じて一流の科学者・数学者として世に登場しま す。ケンブリッジ大学を卒業後もしばらくは研究員として大学に残り、1856年にスコ ットランドに戻ってマーシャルカレッジの教授に就任します。 ThomsonとMaxwell はケンブリッジ大学で7歳違いの先輩後輩の関係にあり、また熱力学・エネルギー保 存則・電磁気学など幅広い共通テーマに取り組む研究者です。後輩のMaxwellは若い ころからThomsonの気体・液体・固体に関する熱力学理論や電磁気の数式化理論に強 い影響を受けています。そして1850年以降は“良き師弟”あるいは “先輩と後輩”でし た。 そして“理想的な研究仲間”として議論を交わし、あるいは頻繁に手紙を交わす 間柄となります。

  Maxwellはケンブリッジ大学でThomson の既知を得た1850年前後からその科学史的 な意味での活躍を始めます。彼は師と仰ぐ大先輩William Thomsonの示唆を受けて Faradayが長年に積み重ねた電気と磁気に関する克明な実験記録を徹底的に読みこむこ とを始めました。

  Faradayが30年間に及ぶ実験結果を克明に記録した著書「電気の実験的研究」は独創 的な内容に富んでいたにもかかわらず,数学的表現を伴わないために当時の科学者達 の評価は低く関心を呼ぶことはありませんでした。Maxwellは科学者・数学者として システマチックな発想でFaradayの頭脳の中に飛び込んでいきます。Maxwell はこの当 時の自分の状態について回顧談で“電気の勉強を始めたあの当時,とにかくFaraday を完全に読み終わるまでは一切数学を使わないぞと決心して彼のノートに集中したの です……”と語っています。

Maxwellは1855年から1873年の間に電磁気理論に関して4本の大論文を発表しています。

  • 第1の論文“On Faraday’s Line of Forces”(1855年)
  • 第2の論文“On physical line of forces ”(1862)
  • 第3の論文“Dynamic theory of the electromagnetic field”(1863)
  • 第4の論文“Treatise on Electricity and Magnetism”(1873)

  Maxwell は第1の論文の中でFaradayの電気力線と磁力線に関する理論を数学的 に描き出しました。 この仕事が Maxwellが電場と磁場の物理的意味について本格的に 取り組む出発点となりました。電気や光を運ぶ未発見の媒体“エーテルの存在”をほと んどすべての学者が信じていた時代のことです。 MaxwellはこのときFaradayに手紙 を書き送ってその中に自身が描いた磁力線図を添えました。 この時からMaxwell(24 才)とFaraday(64才)の交流も始まります。

  第1の論文発表後の6~7年間を通じてMaxwellは静電場と静磁場の特性が組み合わさ れた電磁場の特性理論として思考を重ねていきます。 そして第3の論文で“displace current(変位電流)”の概念を提唱しました。 No.57で解説した変位電流 という 概念です。 第3の論文で、今現代の私達が知る整頓された“Maxwellの4っの式の4番目 のAmpere-Maxwell式”が生まれて電磁場の基本特性として必要十分な4っの式が出揃 うところまで来ました。

  第4の論文で科学史上の偉大な記念碑となった電磁波理論が発表されました。電磁波 (electromagnetic waves)の存在が偏微分方程式の表現で示され,またその解から電気が 電場と磁場を伴う横波の性質を帯びた波であることが示されたのです。 今日、 “Maxwell’s fundamental equations of the electromagnetic fields”と名付けられた電磁波理 論です。第4の論文で示されたMaxwellの電磁波方程式とその波としての特性解について は前回No.58で一通りの解説をした通りです。 第4の論文が出版された1873年、それは 電磁波の誕生年として記憶されることになりました。Maxwell はこの時41才です。

  Maxwellの理論によれば、電気は、そしておそらく光もが、波であって、空間を伝搬 するのに“未知なる物質エーテル”を必要としない。 電気エネルギーは電磁波として真 空空間でも伝搬する。 しかしこのような主張は当時の科学界の常識を根底から否定す る唐突な新理論でした。また論文の中身が数学的に難解でこの論文を読み込むことので きる学者は極めて少なかったといわれます。 そしてなによりも、「新理論を肯定する 実証的証拠」が何もありませんでした。 この論文が発表された直後においては Thomson ですらしばらく懐疑的であったといわれています。 この論文が発表されて後 に難解な中身を読み込んで賛辞を送ったのはThomsonも含めてBoltzmann(1844-1906) やHerman Helmholtz(1821-1896)などごく少数の科学者に限られていました。 大半の 学者は実験証明のない疑わしい仮説として否定的であったといわれます。

  Maxwellの電磁波理論が画期的な新理論論文が発表された1873年より15年後の1888年 にHeinrich Hertz(1857-94)が電波の実証実験(1888)に成功します。Hertzの実験について は次回解説をすることにして、偉大な科学者Maxwell の業績についてもう少し記します。

  Maxwellは電磁波理論の分野のその他にも熱力学で偉大な業績があります。中 でも気体に関する
Maxwell-Boltzmann の法則
が有名です。MaxwellはLudwig Eduard Boltzmann(1844-1906:オーストリア人)とは独立に気体に関する法則を 見出し,「熱とか温度という現象の本質は物質ではなく分子運動現象である」こと を明らかにしました。 電磁波理論と並んで熱の本質を見極めたこの業績は近世以前 の科学時代から現代の科学時代に変化を遂げる節目となる偉大な業績であったといえ ますね。そういえば現代の最先端量子理論でも「宇宙の根源はエネルギーであ り、物体はエネルギーの採りうる一つの形にすぎない」と説明されているのに 似てますね。

  さて、Maxwellの電磁波の発見理論という超偉大な業績について総括しましょう。 Hertz による電磁波の実証証明(1888)以降の技術史はすでに実現していた有線通信 (モールス信号)に加えてGuglielmo Marconi(1874-1937)による英仏海峡横断無線通 信(1899)・大西洋横断無線通信(1901)に象徴される無線通信が実現して20世紀の新 時代に突入していくことになります。Maxwellは1879年に癌のため47才にて没して います。 せめてHertzの実験成功(1888)の時まで生きてほしかったと思いますね。 Maxwellの最大の理解者の一人であったOliver Heaviside(1850-1925)が1891年に 語った言葉があります。「3年前には電磁波などどこを探しても無かったのに、今やど こにでも転がっている」。これって、Maxwellの偉大な業績を長い間評価できないま まであった当時のアカデミーへの痛烈な皮肉ですね。

  やがて20世紀を迎えて、Albert Einstein(1879-1955)が1905~1916年の間に相対性 理論を完成させますが、その思考の過程ではMaxwellの電磁波理論を通して光の本質 に更なる思考を重ねることが中心にあったといわれます。 Einstein は「相対性理論 に関する自分の研究の思考過程はNewtonよりもMaxwellに支えられたところが大き かった」と語っています。 20世紀の時代になってEinsteinの相対性理論によって Newtonの法則は修正を余儀なくされましたが,Maxwellの電磁波理論はその後も全 く修正を必要としないままで現代の科学理論の根底をなしています。 20世紀のノ ーベル物理学者 Richard Feynmann(1918-1988)は Maxwellの業績に敬意を払って次 のように述べています。「1000年単位で人類の全歴史を振り返るとき,19世紀に生じ た最大の出来事はMaxwellが導いた電磁波理論であると断言できる」と。

  Maxwellの打ち立てた金字塔はそれほどにすごかった。 近代科学史の三大金字塔と してNewton, MaxwellそしてEinsteinを考えとしても良いのではないでしょうか。そ の一方でMaxwellは独り突然に現れたのではないという想いも頭をかすめます。1873 年Maxwell(31才)が第4の論文で電磁波理論を発表した時、英国科学界には Faraday(71才) ,Joule(44才), Stokes(43才),Thomson(38才)等々の大科学者が揃ってい た。そして英国にはIssac Newton(1642-1727), James Watt(1736-1819), George Stephenson(1781-1848)等々世界の産業革命を牽引する強固な伝統的基盤がありまし た。電気が“不思議な現象”から“実用工学電気”に移行する重要な過程となった19世紀 半ばの時代、その最大の推進役を最大の担ったのはGreat Britain島の人々であったと いえるのでしょう。

  さて、今回のNo.59を読み終えていただいた電気技術者の皆さん。もう一度No.47と No.48を読み返してみてください。 Maxwellの電磁波理論が前よりすらすらと読むこ とができ、また電磁波をもっと好きになるかもしれません。



次回はHeltzによる電磁波の事象実験について解説します。またこの時を境に電気・電 磁波が理学から工学に大きく枝分かれしていく時代として通観してみたいと思います。

(2025年5月5日 長谷良秀 記)
 
     
   
     
 
 
 
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