電力技術理論徒然草 No.60 (長谷良秀) 
     
電気技術解析記述法発展史(その10)


  No.51から始めた電気の記述史、No.57からMaxwellの電磁波理論の話を綴ってきま したがもう少し続けます。

60.1 Michelson(1852-1931) の干渉計(Interferometer)
Maxwellの電磁波理論は1873年に発表されましたが、その「電気・磁気は波として理 解できる」という理論がすぐに世に認められたわけではありません。 その理論が冗 長度のある 10個の変数から成る難解な方程式理論として展開されており、一般の科学 者には難しすぎたことも一因であったでしょう(注:Heaviside が4っの式に整頓しま した)。 そしてなによりも「電磁波の存在が実証されていない」のです。また「 Maxwell式はエーテルの存在を否定する根拠とはならない」し、また「エーテルのな い真空空間で波が伝わるはずがない」という当時の常識に合致しなかったのです。 Maxwell自身も「エーテルがあるとすればエーテル風(後述します)”で電磁波が流され てもいいはずだが・・・その値は小さすぎて測定できない・・・」と云っています。 エーテルがあるかどうかはわからないと云っているわけです。

  実は Maxwellが電磁波方程式を発表した1873年当時、光についてはすでに粒子説 と波動説の両論がありました。 ただ仮に波であるとしてもその伝搬を可能にする媒 質(エーテル)があるはずというのが当時の定説でした。 「地球は太陽を中心に周期 運動しているからいわゆる“エーテルの風”が吹いている。だからその風向きは12時間 毎に反転し、春と秋でも反転するはずである」と考えて多くの学者がこの問題に取り 組んで失敗を重ねていました。
  ここで登場するのが Albert Abraham Michelson (1852-1931) であり、彼が考案した Michelson干渉計です。 Michelson はフーコー Jean Bernard Leon Foucault (1819-1868)が発明した回転筒鏡による光速度測定法を改良して1879年に光速 測定を行い、c=299,910±50[km/s]という結果を発表しています。そして1881年 に干渉計のアイデアを発案して「直交する二つの経路を進むのに光が要する時 間の差を高精度で測定する新たな実験を開始します。
  Michelson干渉計の原理図等を図60.1に示します。 光源から出た白色光線はハーフ ミラーを通り、二つの互いに垂直な光線に分割される。それぞれの光線は、しばらく 進んだ後に鏡で反射され、中央に戻ってくる。そして検出器の上に重ね合わせると、 それぞれの光線が光源を出てから検出器に到達するまでに費した時間に応じて、干渉 が生ずる。直交する2つの経路の距離が同じ場合であれば光の干渉は生じない。距離の 差が波長の整数倍(0を含む)の場合2つの光線は互いに強め合うように干渉し、また 経路長の差が波長の整数倍と2分の1の場合(例えば、0.5波長、1.5波長、2.5波長など )、2つの光線は互いに弱め合うように干渉する。 そして両経路の光線が費やした時 間に僅かでも差があれば干渉縞の位置が動くはずである。 もしエーテルの風が存在す るならば地球の自転によって12時間ごとに追い風と向かい風が入れ替わるので干渉縞 が24時間毎に周期変化を繰り返すはずである。干渉縞は365日毎にも周期変化を繰り 返すはずである。
  彼は Edward W Morley(1838-1923)の協力を得て干渉計の改良重ねて高精度 の測定を繰り返しました。そして1887年、「エーテルの風による影響は観測 されなかった」との結果を発表しました。有名な“マイケルソン・モーリーの 実験”です。 “エーテル風による干渉縞の変化は生じなかった”のです。その後多くの 学者が追試験を試みましたが誰も“エーテル風”を見つけることはできませんでした。
  この実験の発表によって、「エーテル風の影響が“極めて小さい」のではなく、「仮 説エーテルは存在しない」ことを意味する証左であると大方の科学者が理解するよ うになりました。 また「光の速度は一定で変化しない」という考えも徐々に 芽生えてきました。

  マイケルソン干渉計の実験で直交する二つの光経路の距離を変えれば光の到 着時間の差によってきれいな干渉縞が現れる。 したがってMichelsonの干渉 計実験は“光の波動説”を支持する決定的な実験であり、さらには後年に Einstein(1879-1955)の相対性理論の証拠とされる実験でもあったわけです。



  蛇足ですが、干渉計(Interferometer)は後年の物理学実験や天体観測に欠かせないフ ーリエ変換分光計として進化していきました。 またその原理は通信分野の遅延線技 術、医療分野の身体断層映像装置、重力波検出装置などの現代の最先端科学技術とし て活用されているわけですね。 周波数的に言えば可視光線から赤外線・ガンマ線・電波・ 音波領域におよぶ電磁波工学や放射線工学の基礎技術として極めて多岐の応用 がされています。

  話をMaxwellの電磁波理論に戻します。 マイケルソン・モーリーの実験結 果が発表された1887年はMaxwellの電磁波理論が発表された1873年から14 年後のことですね。「光は波ある」そして「波は真空空間でも伝搬する」とい うことが理解されるようになると、埋もれかかっていたMaxwell の電磁場理論 が俄然注目の的となりました。Michelson干渉計実験が発表された1887年は 「電磁波は実在する」「光は電磁波の一種である」「光も電磁波も真空空間で 存在し、伝搬する(場の理論)」等々の考え方が定着し始める重要な契機とな りました。Maxwellは残念ながらこの時を待つことなく1879年に47歳で没し ています。

Albert Abraham Michelson(1852-1931)はドイツ系アメリカ人で す。アメリカ海軍兵 学校で光学・熱学などを学び、2年間の欧州遊学を経て1881年に海軍を退官し、それ 以降はクラーク大学・シカゴ大学等の教授を務めました。 1907年に「干渉計の考 案とそれによる分光学およびメートル原器の研究」によりアメリカ人初のノー ベル物理学賞を受賞しています。

60.2 Hertz(1857-1894)の実験
  Maxwellの電磁波は 1888年,Heinrich Rudolf Hertz(1857-1894)の画期的な実験 で実証されることになりました。 Maxwellが電磁波理論を発表した1873年から15年 後、そしてマイケルソン・モーリーの実験の年1887年の翌年のことですね。Hertz はおそらくこの実験結果に触発されたのでしょう。
  Hertzは二つの金属球(キャパシタの役割)を感応コイルで結んで球間で電気火花を 断続的に発生させました。今様に言えば「三点式放電ギャップ」です。すると少し離 れた場所にある針金の輪(共鳴器,アンテナ)のギャップでも同時に火花が発生(放 電)したのです。両者は完全に同期して放電します。 前者が送信アンテナの役割を果 たして電磁波(電波)が発信され、後者が受信アンテナの役割を果たしたのです。 ま た発信側と受信側の両者を銅板で遮れば受電アンテナ側の放電は止まりました。また 反射板を介しての「くの字方経路」での反射受信も確認されました。 三点ギャッ プの放電が発信源となって電磁波が波として空間を伝搬していることは明らかです。 この実験は「電磁波の空間伝搬というMaxwell予言」を証明する実験となりました。

  Hertzの実験は当時の科学者にとって再現が簡単です。当時の多くの科学者がHertz の実験を簡単に自ら追認しました。Hertzの実験結果が発表された1888年から3年後の 1891年に Maxwellの最大の理解者 Oliver Heaviside(1850-1925)が当時の科学界の 急な変化に皮肉の意味を込めて次のように述べています。 「3年前には電磁波などど こを探してもなかったのに,今やどこにでもころがっている」と。

  図60.2は今日的な意味での発信器の原理図です。LC 発信子によってアンテナの中 で正弦波の高周波電流が作られます。アンテナ内で正弦的に変化する電流によって電 場 と磁場 が作られて空間に進行波として一定速度cで伝搬していきまiす。電場 E と磁場 B はその大きさと向きは刻々と変化するが両者の比 E/B=c c=EB(伝搬速度) は変化しない。アンテナから遠く離れた点 Pでこの微弱な電磁波をキャッチします。 今日日私たちの知る電磁波のスペクトルの図を図60.3として示しておきます。





  図60.3から明らかなように今ではあらゆる周波数領域の電磁波が技術的に利用され て現代社会が成り立っていますが、このスペクトル図もマイケルソンの干渉計のお陰 で作成されているわけです。

  Hertzの実験の年1888年が一大契機となって放電管・発受信機・アンテナなどの発明 と実用化などが相次ぎ、無線通信の実用時代となりました。そしてわずか12年後の 1901年には Gugliel-mo Marconi(1874-1937)が大西洋横断の無線通信に成功します。
  ところでFaraday, Henryの大発見以降の1830~1890年代はいわゆる電気技術の揺籃期 であり、動力(発電機&モータ)・照明(電燈)・有線通信(モールス信号)への実用化 がゆっくり進んでいました。1882年にはEdison の電燈会社がロンドンとニューヨーク に開業しています。1890年には電力の交流・直流論争に決着がつき交流電気の時代を 迎えます。 20世紀初頭ではいわゆる強電分野に無線通信という弱電分野が加わって 今日的な意味で強電&弱電の両翼が揃った電気の時代が始まったといえるのでしょう。

  時代は20世紀となり,Albert Einstein(1879-1955)の 相 対 性 理 論 が1905年から16年 にかけて完成します。Einsteinは“光の本質”や“静止と運動”について思考するとき, Maxwellの理論がいつも頭の真中を占めていたと述べています。Einsteinやその後の科学 者の活躍で Newtonの法則は修正を余儀なくされましたが, Maxwellの理論は21世紀の 今日もまったく修正を求められていません。

  今回はここまでとします。 昨年7月から始めた電気の記述史も19世紀終盤となり ました。 20世紀以降の解説も目前です。 引き続き楽しんでいただければ光栄です。

(2025年5月31日 長谷良秀 記)
 
     
   
     
 
 
 
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