電気技術解析記述法発展史(その11)
61.1 国際統一単位法150周年
1875年にフランス政府の主導で度量衡制度、いわゆる単位系を諸外国と統一するた
めの「
メートル条約」が17ケ国で締結されました。 本年2025年はその時から150周
年の記念の年ということになります。 私はこの連載No.51~No.60で1800年以降の電
磁気学進展の足跡について、偉大な先駆者達が導いた理論式をも織り交ぜながら綴っ
てきました。前回でようやくMaxwell, Hertz, Michelsonによる電磁波理論の誕生
(1873)と実証(1888)されたところまでたどり着きました。今回No.61のこの時点でち
ょっと立ち止まって,No51-60で略1年かけて辿ってきた19世紀の電気技術記述史をも
う一度ハイライト的に振り返りながら今度は電磁気の単位系が構築されていった足跡
にスポットライトを当ててみたいと思います。
19世紀初頭から輝かしい進化を遂げた電気記述史ですがMaxwell, Hertz, Michelson
に象徴される1880~90年代あたりが人類史という広い視点で見ても重要な一つのマイ
ルストーンの時と云えるように思います。 1800年のVolta電池を皮切りに登場した電
気・磁気学は大きい進展を遂げて19世紀末にこのマイルストンに到達しました。 こ
の時代あたりから電気科学の進歩の足跡は枝分かれして、一つは
Hendric Lorents
(1853-1928),
Max Planck(1858-47),
Albert Einstein(1879-1955),
Niels Bohr(1885-1962)
等に代表される
20世紀以降の現代物理科学につながる道が拓かれていきます。
そしてもう一つは
現代電気工学という新たな実用技術を切り開く道につながります。
“
19世紀の電気科学”は“
20世紀の電気電力工学”に衣代えして現代社会のインフラを支え
る原動力に変身していきます。 そして20世紀にはいわゆる
弱電と強電の二頭立て
で長足の進歩を遂げていきます。
電気単位については電気科学理論に必要なツール
としての意味をはるかに超越して、人類の社会活動を支える基本度量衡としても重要
な意味を持つ時代となっていったことでしょう。 さて、今回は
電気度量衡制度小史
と位置付けて綴ってみることにします。 皆さんお付き合いください。
61.1 電磁気科学登場以前の時代:Newton力学の単位系
長さL・重さM・時間T。この三つの変数と単位に対する人類の認識はおそらく石
器土器の時代から存在したといえるでしょう。そして「モノの個体数を数える」方法
として古代メソポタミア・エジプト・中国等では10進法が使われました。インドで
は0(ゼロ)の概念や位取り記述法が生まれアラビア数字も登場します。 紀元前のギ
リシャではPythagoras(BC572-474), Euclid(BC323-283), Archimedes(BC287-212)な
どの鉄人が今日的正確さで幾何学や物理学(浮力など)理論を築きました。 事象の
定式化という概念も生まれました。 例えば長方形の面積は
S=L1xL2で表されます
。この式では長さ
L1,
L2の単位としてメートル・フィート・尺など何を使っても成立し
ますからいわば長さと面積に関する相対関係を示す式です。 そういう意味
で相対方
程式Relative equationといわれます。 一般に事物(長さ・面積・時間など)の絶対的
大きさは個々に定められた基礎単位(尺度)に対する倍数として表現されます。 そ
れが
単位系Unit systemですね。
Issac Newton(1642-1729)はNewton力学と云われる素
晴らしい相対方程式理論(
F=m・α,F=m1m2/r2など)を構築ました。
さて、「人類が数える・測る対象」と云えば長さ
L ・重さ
M ・時間
T ですね。面積
S は
L の従属尺度といえます。 長さ
L ・重さ
M については世界各地各時代で様々な
固有尺度が使われたことでしょう。 またその表記法もいろいろ存在したことでしょ
う。たとえばローマ数字I(1),V(5),X(10),L(50)のような表記法もありました。しかし
ながら“指の数10本”という人類共通の絶対数があったお陰でしょうか、世界各地で10
進法が広く定着していき、その表記法としてアラビア数字(インド起源といわれます
)が定着していきました。 人類の歴史の中で長さ
L ・重さ
M ・時間
T の数え方が
“アラビア数字による10進法表記”で自然に統一されていったのは幸運なことでした。た
だし長さ
L ・重さ
M の基本単位は各地域各時代のローカル単位が使われるのは当然の
ことでした。
時間
T については実用単位として60秒、60分、12時間、12ケ月で順次に“桁あがり
”ができますから或る意味12進法・60進法が残っているとも言えます。しかしこれらも
私たちは0~9の10個のアラビア数字で表現しているし、また1hour=3,600secなどと
表せるので時間も10進法を使っているといえるでしょう。 人類は歴史の営みを通じ
て幸運にも自然に「10進法で統一」を達成することに成功したといえるのでしょう。
尤も一部の現代人からは8進法あるいは16進法の方がもっと良かったなどとクレームさ
れるかもしれませんが。
1875年にパリにてフランスと国交のあった
17ケ国による
メートル条約が締結されま
した。
mm,
gr,
sec を基本的単位とする
MKS 単位系の採択です。 今年はちょうどその
150周年になりますね。この条約では長さ
L と質量
M についてはフランス圏・ドイツ
圏で当時共通的に使われていたメートル(
m (あるいは
cm )とkg(あるいは
gr )が
共通単位として採択されました。時間
T については地球の天体周期起因の時間長secが
採択されました。 少し補足します。満天に広がる星座は北極星を中心に毎夜少しず
つ位置を変えつつ1回転し、また昼夜を365回繰り返すとほぼ元の位置に戻る。これは
地球上のどこに位置する人にとっても絶対共通に認識できる時の営みです。そこでこ
の総時間を1yearとする。 また1yearを365で均等割り算した平均時間を1dayとする。
さらに1dayを24hourとし、1hourを60minutes、さらに1minuteを60second とする。
メートル条約では人類が世代を繋いで使ってきた
太陽暦で定義された絶対時間
sec/minute/hour/day/ yearを時間の基本単位として採用し、定義することにしたわ
けです。 ホモサピエンスは全時代を通じて満天の星々の回転に関する完璧な絶対規
則性を共有してきたのですから、19世紀末に絶対時間単位として太陽暦に基づく時間
が定義されたのはごく自然の成り行きだったのでしょうね。人類にとっては“指10本”
という絶対値に匹敵する“天体のサイクル単位1year”という絶対値が共有されていたと
いうことでしょう。
Newton以降に発達したニュートン力学はメートル条約で定義されたMKS単位系で
記述できるようになりました。 たとえば長さ

,速度

,加速度

, 力

等がそれぞれ長さ
m ,速度
m・s-1 ,加
速度
m・sec-2,力
m・kg・s-2 などの単位で記述できます。また地球表面で観測される重力
加速度
g は
MKS 単位法では

という絶対値で記述されます。
さて1800年にVoltaの電錐が実現して以来の19世紀には電気&磁気という目視不能な
現象が新たな科学技術分野として登場し一大進歩を達成します。 しかしながら1875
年以前の時代には電気・磁気に関する計測尺度が存在するはずもありません。長さ
L,
質量
M,時間
T の実用単位も諸国間で未統一でしたから。 当時の科学者は”共有でき
る尺度がない ”という難題を抱えながら電気・磁気の研究に取り組んだことになりま
すね。
61.2 19世紀前半の電気史ハイライト
簡単におさらいをしてみましょう。
Augustine Coulomb(1736-1806)は1785年か
ら1791年に書いた6本の論文の中で磁気に関する実験式
F=q1・q2/r2 と電気に関す
る実験式
F=m1・m2/r2 を求めています(No.51参照)。Volta以前の18世紀に成し遂げ
られたCoulomb の偉大な業績ですね。 Coulombは電気・磁気に関する規則性を相
対式として表現した最初の科学者と云われています。
1800年には
Alesandro Volta(1745-1827)が
ボルタの電池(電堆)を実現し,電流
を安定に得ることが可能になりました。それ以来多くの科学者が磁気現象と電気現象
の解明に取り組み次々と輝かしい成果を積み上げていきました。
Hans Christian Oersted(1777-1851)は電線で電流をオンさせると近くにある磁石
が一方向に振れ、オフすると逆に触れることを確かめました(1820年 No.51)。
同じ年の1820年、
Andre Marie Ampere(1775-1836)はループ電流とループ断面を
貫通する磁束の量的比例関係を明らかにしました。 Ampereの周回法則(1826年)は次
のように表されるのでした(No.51)。

後の時代に私たちは両者の比例係数をインダクタンス
L と定義して次式のように表現しています。

平たく言い換えれば電流と磁束の比例関係ということですね。
Georg Ohm(1787-1854)は1825年に
v(t) と
i(t) の比例関係を発見して定式化しました。次式です。
Ohmの法則

電気的抵抗値
R は電圧
v(t) と電流
i(t) の比例関係を示す相対方程式の比例係数で
す。比例係数
R は電圧
v(t) と電流
i(t) の単位の採り方によって当然大きくも小さくも
なりますね。 後になってこの比例係数は電圧単位
v[Volt],電流単位
i[Amp] と定めら
れたときにその従属単位
R[Ohm]=v[Volt]/i[Amp] として定義されることになりました。
「電流のオンオフで磁石が動くのであれば、磁石を動かすことで電流が生ずるので
はないか?」。
Michael Faraday(1791-1867)はコイルが瓶内の水銀に浮いて回転する
実験装置を作って、瓶の外側で磁石を動かすことでコイルに電流が流れてコイルに力
が働いて回転することをも示しました。実験の猛者だったFaradayが 1821年に行った
実験ですが、これは人類初のモータの実現であったといえます(No52)。
Faradayはその後しばらく電磁気の実験から遠ざかった後に再び電気・磁気の研究
を再開してコイル電流と磁石に関する独創的で緻密な実験を積み重ねます。 そして
①
電気と磁気の可逆的な自己誘導と②
可逆的な相互誘導の関係を明快に示しました
(No.52)。1831年のことです。 Faradayはこの
誘導実験で「
磁束の変化速度と電流の
元となる起電力に比例関係がある」ことを見つけていたのです。
今様の式として表現すれば次式のような関係を明らかにしたことになります。以下の
式は二巻線変圧器の原理式そのものですね。

コイル1、コイル2の起電力
e1,
e2はFaraday則で鎖交磁束の微分形式であるから

なおイギリス人Faradayの大発見と同じ1830年にアメリカ人の
Joseph Henry(1798-
1878)もFaraday と同様の電磁誘導実験に成功していたのでした。 Faraday とHenry
の大発見は磁気&電気と云う真新しい科学研究対象から工学的利用へ枝分かれしてい
く歴史の出発点となりました(No.52)。
Faradayが「
一つの回路に生ずる起電力はこの回路に鎖交する鎖交磁束数の割合に比例する」
ことを見つけました。 その起電力の向きについてはドイツ人
Heinrich Friedrich Emil Lenz
(1804-1865)が「
起電力は磁束変化を妨げる電流を生ずるような方向に生ずる」ことを明らかに
しました(1834)(No.54)。
ドイツの偉大な数学者物理学者
Karl Friedrich Gauss(1777-1855)の業績についても
No.53で紹介しました。GaussはVolta, Ohm, Oersted, Ampere, Faradayらとほぼ同世
代で数学・物理学・天文学など広い分野で傑出した足跡を残す大科学者でした。
Gaussは1830年当時すでにゲッチンゲン大学教授職にあり高名な大学者でした。その
業績の一つ、Gaussの導いた電気則と磁気則は次式のように表されるのでした
(No.53)。
閉曲面
S (ガウス閉面)の微小面積
ds を切り取り
dQによるこの点の電場の強さを
dE
とすると

Gaussの電気則は「
任意のGauss閉曲面 S の表面の微小部位の電束密度D=ε0E
(式(53.4b))を閉曲面全体で面積積分した値
はSの内部にある電荷の総和 Q
に等しい。」と云い表すことができるのでした。 そして電荷に相当する磁荷は存在し
ないのでGaussの磁気則として「
どのような閉曲面S(ガウス閉面)を考えてもその表面
の磁場の強さ B(ds) を全面積で積分すればゼロになる」ということでしたね
(No.53,No.54,No.57)。
さてGaussは電気則と磁気則を導きました。両式ともに変数の比例関係を示す相対
式ですが、二つの式に登場する
D,E,ε0 と
B,H,μ0 の単位および相互関係については
Gaussは全く説明していません。 これら両式は「静電界における比例関係」と「静
磁界における比例関係」をそれぞれ独立に理論付けているわけで、当時としては両式
に共通の尺度があるわけではありません。まだ19世紀前半の時代には、電気と磁気を
結ぶ共通単位の概念などは存在しなかったのです。
Gauss, Ampere, Faraday等の大発見が大きい起爆剤となって1830年代以降の電磁気
学は急速に大発展をとげることになります。ハンガリー人
Frantz Ernst Neumann
(1798-1895)が起電力の大きさについて次式を見出しています(1845年)(No.54)。

二人のフランス人
Jean Baptiste Biot(1774-1862)と
Felix Savart(1791-1841)によって
ビ
オ・サバ―ルの法則(the Law of Biot and Savart)が示されました(No.54)。電磁機械
の設計に欠かせない電流と磁束の計算の基礎を与える重要な法則です。
電荷qを取り囲む任意のガウス閉面の微小面積における電場の強さを示す式です。
なお、今日では電荷
q(t) の微分値
dq(t)/dt を
電流i(t)とする下記の定義式が加わりまし
た(No.51)。

当時、電荷
q や電流
i ,そして電界の強さ
E などに関する絶対尺度などありませんがそ
れでも相対方程式であったからこのような式の表現ができました。 ただし電荷や電
界の強さに無理やり実用尺度を割り振るとすればその物差しの種類によって誘電率係
数
ε0 (比例係数です)の絶対値が異なる値になったことでしょう。 磁場に関する相対
式やその中に現れる透磁率係数
μ0 についても事情は同じです。
1840年代には熱力学の分野でも大きい進展がありました。マンチェスター生まれの
イギリス人
James Prescott Joule(1818-1889)は醸造業を経営する傍らで自分の実験室を
創ってボルタ電池を使って電磁石の様々な実験を行い、“電磁石の引力は電流の2乗に
比例する”、すなはち
F=k・i2 の関係にあるとする実験結果を得て1841~47年にかけ
て論文を発表しました。
Jouleの第1法則の発見です(No.59)。

現代のMKSA有理単位系で示せば発熱量の単位
Jouleが次式で定義されています。

Jouleは水を加熱する実験を繰り返してジュール定数
4.18[J/gr・K] (水1
grを温度1度
加熱するのに必要な熱量:比熱容量)を導いています。
そしてさらに「
理想気体の内部エネルギーは温度Tのみに依存し、その体積Vや圧力
Pに依存しない」とする重要な
Joule第2法則を見出しました。 Jouleの第2法則も密閉
気体の熱素説を完全に否定し、後の時代に明らかになる
分子の振動エネルギーに道を
拓く大発見となりました。
またスコットランド人
William Thomson (1824-1907:後に爵位を得て
Lord Kelvin)
はJouleの良き理解者でした。そしてThomson には熱現象と電磁気現象の類似性につ
いて確信がありました(No.59)。 「空間に熱分布があり
熱導電率があるように、磁
界・電界には分布があり
透磁率・導電率がある」と考えて熱分布を
スカラー場として
理解し、磁気・磁気には
透磁率・導電率というスカラー場の概念と磁界・電界の強さ
というベクトル場の概念を導入しました(1845)。また「温度は物体中のエネルギーの
総量を示す」という概念を発表します(1848)。 さらにJouleの第2法則を定式化して
「物体がそのエネルギーを全部放出すれば物体は運動を停止する。 その時温度は最
も低くなり、それ以下に低下することはない」としました(1850年)。 これは「限界
最低温度(絶対定数温度)がある」とする
絶対温度0度の概念です。今私たちは-273度
Cが絶対温度0K(単位ケルビン)であることを知っています。 さらに「熱は分子の運
動エネルギーの一形態である(熱素によるものではない)」という前提に立って
カルノー
サイクル(Carnot cycle)の定式化を行いました。 その結果として「(外から仕事を
しない限り)熱を低温の物体から高温の物体に移すことはできない」あるいは「熱機
関というものは高温熱源から得た熱量のうち一部のみを仕事に変換することができ
て、残りは熱エネルギーとして残り低温熱源として残る」というような事実を明らか
にしました。 また「温度勾配がある物質に電流を流すと熱の移動が生ずる」という
現象、いわゆる
Thomson 効果を発見します(1851)。さらにJouleとの共同研究で「気
体を自由膨張させると温度が下がる現象」
Joule-Thomson効果を発見しました(1852)
(No.59)。
さて1850年前後になると「
熱も電気も磁気もNewton力学と置換可能なエネルギー
の形態であるようだ」という概念が当時の科学者の 共通の認識として徐々に定着して
きました。そして電気回路については「
電圧源から負荷に電流が流れるという現象は
電荷が電界を移動するのに要する仕事量と理解し、また電気的なエネルギー
(Discharged energy)の移動として理解できる」としました。この理論解釈の結果と
して
電気パワー&電気エネルギーの概念が下記のように定式化されることになりまし
た(No.51,No.59)。

なお、統一単位の存在しない当時としてはこれらいずれの式も実用的な相対方程式と
して定式化されたことになりますね。実験装置も手作りで、また電気・磁気量を測定
する手段も単位も無かった状態での相対関係の発見ですから当時の科学者たちの苦労
が偲ばれますね。
61.3 Gaussの地磁気に関する絶対値測定、そしてWeberの継承
さて、ここでふたたび絶対単位の話に移ります。 長さ
L ・重さ
M ・時間
T には各国
によってまちまちではあるが18世紀には伝統的な尺度としてのローカル単位系があっ
たといえるのでしょう。 長さ
L のメートル・フィート・尺など、重さ
M のグラム・
ポンド・貫等々。長さに関しては四大古代文明圏や日本の弥生時代、またインカ圏等
にも当然それぞれのローカル単位が存在したことでしょう。 時間については太陽暦
と太陰暦が規則的な天体現象から導かれたということになります。わが日本は尺貫法
と太陰暦でした。
さてVoltaの電錐電池以降の19世紀においてAmpere, Faraday, Henry, Neumann等の
科学者によって電気理論と磁気理論が次々の編み出され、その諸現象に関する相対方
程式による定式化が進みました。また電気と磁気を結びつける可逆的な相対方程式も
導かれました。 そして1850年以降には「
電気エネルギーと磁気エネルギーそして熱
エネルギーがNewton力学の位置のエネルギーや運動エネルギーと等価である」という
ことも信じられるようになりました。しかしながら科学の新ジャンルとして登場した
電気や磁気に関する基準となる絶対単位はまだ有りません。 また両者を等価な関係
として繫ぐ統一的な絶対単位系ももちろん有りません。 当時として、或る状態の磁
気あるいは電気を誰が測定しても同じ絶対値として測定されるような測定対象など存
在しなかったし、また測定のための共通の物差し(基準尺度)もなかったわけです。
1830~50年代はこういう状況でした。1850年以降の時代において「電気・磁気の科学
にも通用する世界共通の単位系」を築くことの重要性が徐々に認識されていくように
なったことでしょう。
この時代は交易の範囲が一挙に地球規模に広がった時代でもありました。 欧州で
はナポレオン戦争(1803-15)を終結させたウイーン会議(1815年)を起点としてオー
ストリア帝国が覇権を広げてメッテルニヒ体制(1815―1848)を軸とする比較的平和
な時代が続きました。 欧米先進諸国ではイギリス人
George Stephenson(1788-1848)
が1814年に考案した蒸気機関車が急速に普及しはじめて、また帆船が蒸気船に代わっ
ていく過渡期の大航海時代でした。1830~50年はそういう比較的平和な時代でした。
ちなみに列強による貿易の拡大と植民地進出が進む時代でもありました。日本では
1853年に浦賀沖に黒船が現れました。科学界のみならず社会の営みの全ての面で「信
用できる共通の度量衡尺度」の構築は非常に切実な社会問題でもあったでしょう。
実は電気・磁気についてもそれらを「絶対値として正確に測る方法も尺度もない」
ということは当時の一つの社会的課題でもあったのです。 遠洋気帆船の航行用羅針
盤の精度が狂うのです。この時代には羅針盤の磁針の指す方向(
偏角)が地球の経度/
緯度によって、また季節によって変化すること、また赤道から離れて極地に近くなる
ほど磁針の
伏角が大きくなる(地磁気が強くなり、磁針の過渡的な振れが小さくなる)
ということなどが経験的に明らかになっていました。 しかし体系的な理論は未だ存
在していません。
地磁気の偏角と伏角がどのように変化するかを正確に知る事が当時
の列強諸国にとって国家的喫緊の課題でした。そして ゲッチンゲン大学の教授職にあ
る大科学者
Gauss(1777-1855)にとって地球を取り囲む「地球の緯度経度に関する三
次元磁場を確定する」ことは“科学の大御所としての社会的責務” でもありました
(No.53,No.56)。 このテーマは「磁気そして電気に関する測定法とその
絶対値測定」
というテーマに繋がっていきます。
1831年には
Weber(1804-1891)がGaussの推薦でゲッチンゲン大学の若い教員とし
て着任します。二人の年齢差は24才ですが、同じ大学の師弟コンビが成立してこの時
以降二人の共同研究がはじまります(No.56)。
Gaussは1832年に「地磁気の強さの絶対測定」と題する第1の論文を発表します。
Gaussは長さが40cmほどの磁針(磁石)を使って様々な条件で地磁気の強さを測定結果
を示しました。 「羅針盤の長磁針の①
偏角・②
伏角の測定に加えて➂長磁針が逆方
向から北向きに戻るまでの
振動減衰時間と
振動周波数などの力学的過渡現象を自国ド
イツの尺度mm, mg, secで測定するのです。 世界で初めて試みられた「
地磁気の絶対
値測定」ですね。 またGauss は自国科学会の重鎮でもありましたから同一設計の
長針羅針盤を遠洋航海船に装備させて世界各地の実測値を集める国家プロジェクトの
推進を提案します。 今様に言えば地球大スケールでの磁力線測定マッピング計画で
すね。
Gaussはまた1832年のこの論文で「物理科学の諸現象を論ずる基本単位として長さ
mm・質量gr・そして時間は地球の公転自転で導かれているsecの三つを基礎単位とす
ること」を提案します。そしてさらに「地磁気測定を通じて磁石の作る磁気現象をmm
・gr・secで絶対値測定が可能なことを理論と実測の両面から立証しました。
Gaussはまたこの論文で「地磁気の場合と同じ発想で電流の作る磁気現象も測定で
きるであろう」と断言します。 言い換えれば「電流の大きさ(絶対値)も長さ
L, 質
量
M, 時間secの尺度で表せる」と主張していることになります。 Gaussは1832年の
時点で 長さ
L・重さ
M・時間
T による電磁気量の大きさ(絶対値)測定を示唆して
いることになりますね。
Gaussは1839年に第2の論文「地磁気の一般理論」を発表します。今様に言えば地球
をとりまく3次元の磁力線マップの数式モデルを完成させて発表したといえるのでしょ
う。 地球上の任意の地点の磁気の強さがベクトルとして算出できる。 こうしてガ
ウスが計算予測した磁気的南極点は1841年のアメリカ探検隊が確認した南極点からご
くわずかしか離れていなかったといいます。 Gaussは第2の論文で地球磁気の絶対値
に関する三次元理論マッピング方程式を完成させたことになりますね。
Gaussは1840年に第3の論文「距離の二乗に反比例的に作用する斥力と引力に関す
る一般定理」を発表します。 この論文では電気・磁気空間そして地球を取り巻く宇
宙空間を
Potential空間 として論じた上で、今様に表現すれば電荷に関するクーロン則
(
F=q1・q2/r2)、磁荷に関するクーロン則(
F=m1・m2/r2)、そして質点間の万有
引力 (
F=m1・m2/r2) がいずれも距離の二乗2rに反比例の統一式として表しうるこ
とを解説しています。ただし電気・磁気・引力の単位系としての相互関係については
何も記すことはなかったようです。 Gaussはさらに電荷および磁荷に関するクーロ
ン則について面積積分&体積積分の概念等を取り入れた複雑な電場&磁場理論として
発展的に展開しました。今日私たちが「Maxwellの四つの式」の第1式(Gaussの電気
則)および第2式(ガウスの磁気則)として理解しているわけです(No.57,58,No.59)。
GaussとWeberは1833年に共同でゲッッチンゲンに地磁気観測所を設けて1841年ま
で、地磁気の時間的変化の精密観測を行ないました。 その研究成果として作成され
た世界最初の磁気地図が共著書 “Electrodynamical Measurement”で1846年に出版され
ています。
2人はまた磁気観測報告誌の共同編集者でもありました。その報告誌の 1940年号で
Weberは電気量をmm, mg, secで絶対値測定する方法について論文を書いています。
或る電気量で水を電気分解したときに電気量に比例して発生するガス量(絶対値)を
mm, mg, sec単位で測定するという方法でした。 さて、磁気の場合には地球の地磁気
と云う安定した測定対象があり、その大きさを磁針の偏角・伏角・振れ速度として
(したがってmm, mg, secで)測定評価することができました。 しかし“電気および電
気の作る磁界の強さ”の場合は地磁気に相当する自然の測定対象としての“地電気”があ
りません。 いかようにも変化して掴みどころのない回路電気をどのように測定する
かが大問題であったわけです。 Weberが独自のアイデアで釣り糸構造のコイルに流
れる電流の大きさをその捩じれ角度で表す
電流力計を自作して回路に流れる電流の大
きさを測定する実験を可能にしました。Gaussが磁気の絶対値測定と理論化を実現し
た上で実現可能と示唆した人工的な電気・磁気実験の発想をWeberが巧妙な試験&測
定法で実現したということでしょう(No.56)。 Weberの電流力計はこの実験における
電流の大小関係評価(相対値測定)の重要なツールの役割を果たしたことでしょう。
61.4 1850~75年の推移、そしてメートル法(MKS単位系)誕生
1850年以降の時代を迎えます。Gaussは多方面で偉大な足跡を残した後1855年に77
歳で没します。同じ年に
James Clerk Maxwell (1831-1879) lが第1の論文”On Faraday‘s
Line of Force”を を発表してFaraday則を電気力線と磁力線の形で定式化しました。そ
して1864年に電磁波理論を発表します(No.57,58,59)。ただHertzによって電磁波が実
験証明される1888年以前の時代ではこの理論は説得力の乏しい仮説でしかありません
でした。 この当時既にGaussが地磁気の強さをmm, mg, sec単位で絶対値測定しまし
たし、電気・磁気がmm, mg, sec単位で実測できるであろうことを示唆していました。
またWeber が電気の強さを絶対測定する方法等に挑んでいました。 電気・磁気が力
学的な力・仕事・エネルギーと等価的であろうという考え方も徐々に肯定されるよう
になりました。 それでもまだ「見えない電気・磁気の大きさを絶対値として理解し
測定すること、またそのための単位を組み立てる」という道筋はまだまだ見えませ
ん。 MaxwellとThomsonも1860年代には電気と磁気の科学的な単位の整理に精力を
注ぎ始めます。 1870年代を迎えて Weberは電気・磁気に関する理論と実測経験に関
して並ぶ人無き大家です。 1870年代の統一単位法の制定の機運が生まれたこの時期
にWeberも当然科学の大御所として大きい推進役を果しています。電磁単位系と静電単
位系の比

(
ヴェーバー定数:Weber's constantと云われる)
を計算で導いたほどの大科学者ですから 1875年に制定された単位系制定(後述します)
に重要な役割を果たすことになったのは必然であったのでしょう(No.56)。
1875年、フランス政府が主導する形でフランスと国交の有った17ケ国によって
メー
トル条約が締結されました。 政治主導の複数諸国間
度量衡統一条約です。フランス
の自国尺度はcgs単位(mm・gr・sec)でしたから当然この条約ではcgs単位(あるい
はm・kg・sec)を基本単位とするMKS単位系がすんなり採択されたのでしょう。政治
的つながりのある諸国間貿易で生ずる度量衡不統一の不便を無くすことが趣旨でした
が、これは科学界においても統一単位系を実現する契機となりました。 Gaussが
1832年当時に主張した提案「物理科学の諸現象を論ずる基本単位として長さmm・質
量gr・そして時間は地球の公転自転で導かれているsecの三つを基礎単位とすること」
がこのメートル条約の締結によってようやく実現して科学界にも恩恵をもたらしたと
いうことでしょう。
ところでこのフランス主導のメートル条約に1875年時点でサインした17ケ国にはド
イツ・イタリア・アメリカなどが含まれています。この当時とは普仏戦争(1870-71)直
後のことでフランスとドイツは微妙な関係にありましたが両国とも長さと重さの単位
が共通的にメートル・グラムだったので採用する単位で揉めることはなかったのでし
ょう。 アメリカは南北戦争(1861-65)直後の時代で自国内には英仏独蘭等のローカル
単位が混在していた状況でこの条約を締結したのでしょう。ちなみにfeet・ponds制の
イギリスは1884年に、また尺貫法の日本は1885年(明治18年)にサインしています。
61.5 1880年代以降MKSA単位法成立まで
フランス政府主導の政治同盟による度量衡共通化を目的として生まれたメートル条
約でしたが、この条約を世界が追認する形で当時の一流科学者がパリに集う国際電気
会議が開催されました。1881年の第1回国際電気会議(
CGPM:General Conference
on Weights and Measuresのフランス語頭文字)です。この時、1875年のメートル条約
を基本的に踏襲することになりますが、mmをcmに修正してCGS単位系(cm・gr・sec)
とするなどの修正がなされます。これは長さと質量の桁数を読み替えれば現行の
MKS単位(m・kg・sec)と同じ尺度であることは言うまでもありません。
1881に始まった国際電気会議では電磁気に関する実用単位系が初めて公的議論の対
象となりました。そして
電気磁気に関する実用単位として下記のような電磁気単位が
定義されていきました。
Coulomb = Farad x Volt = Ampere x sec
Volt = Ohm x Ampere
Watt = Volt x Ampere
Coulomb = Farad x Volt = Ampere x sec
Weber = Henry x Ampere = Volt x sec
これらの関係を保存する形で
Volt Ampere Watt Coulomb Weberなどの電磁気量お
よびこれらの比例係数に相当する抵抗
R・インダクタンス
L・キャパシタンス
C 等の
用語も定義されていきました。 1881年は科学&工学としての電磁気理論に世界共通
の単位系が議論され定義された画期的な年となりました。
国際電気会議は例年開催の定例会議となっていきます。 そして1893年の会議では
「既に存在する
電磁気学の単位系と熱力学の単位系を統合すべき」との提案がなされ
ます。その理論根拠は次のように要約できるでしょう。
「電気磁気学系の実用単位として採択済みの電力
Watt に時間 secを掛けた電力
量
Watt x sec は電気(エレクトロン)の移動に伴う仕事量(今様に表せば
Watt x sec =
Newton x
m)を意味する実用単位である」と説明できる。 他方で
「熱力学的に定義される実用単位
Joule も熱の仕事量(今様には
Joule =
Newton x
m)である」。そして「
電磁気系で採用済みの実用単位
Watt x sec と熱力学で定義済みの実用単位 Joule は偶然にも力学的仕事量
Newton x m と一致している」。「そこで Joule = Watt x sec という定義を加えれ
ばそれまでの両分野の実用単位の定義を崩すことなく電磁気学的実用単位と熱
力学的な実用単位系を統合できる。」
こうして1893年時点で
Watt と
Joule の相互関係としての新たな定義式
Joule =
Watt x sec が追加されました。電磁気量単位系と熱力量単位
系が統一実用単位系として関係付けられた偉大な瞬間でした。
1901年にはパリで国際電気会議が開催されました。この会議では「既存のMKS単位
系と電磁気部門および熱力学部門の科学界で整備済みの実用単位系を統合すべき」と
の提案がなされます。「実用単位
Joule =
Watt x sec は力学的仕事量(力F×質量m)と
等価であり
Joule =
Watt x sec =
Newton x
m (ただし 1
Newton = 1
kgm/sec2 :力の単位)
で表すことができる」。 そこで「実用単位の
Watt・Joule・Volt・Ampere・
Ohm・Weber などのどれか一つをMKS基本単位系に4っ目の基本単位として追加すれ
ば電磁気学の実用単位系が修正されることなくなく力学的なMKS基本単位系に統合さ
れることになる」という理屈です。 この発案は20世紀の科学・工学発展を約束する
さらなる素晴らしい発想でした。
ところがこの提案はその後も半世紀ほど棚さらしになって採択されることはありま
せんでした。 列強が第1次・第2次世界大戦で熾烈な戦争を繰り返した暗黒の20世紀
前半には単位系の統一などを議論する余地は全くなかったのです。結局、第2次大戦終
了後の1948年に開催された国際電気会議
CGPM 第9回会議で
実用単位Ampereを四番
目の基本単位として追加さすることが決まり、それまでの「
MKS単位系に電流Aを追
加してMKSA単位系とする」ことが1950年国連会議で正式に採択されました。
それ
までに定義されていた電磁気系と熱力系の実用単位は全く修正されることなく全て
MKSA単位系の従属単位として再定義されることになったわけです。 余談ですが
1948年の会議では三つの基本単位(
長さL,重さM,時間T)に加える第4の基本単位とし
て
Watt・
Joule・
Volt・
Ampere・
Ohm・
Weberなどの中から
Ampereがどの様な議
論を経て選ばれたか? 会議では第4の新原器の設定法に関する技術的難易度の比較な
ども議論されたことでしょう。ただ第2次大戦直後の会議です。Lyon生まれのフラン
ス人Ampereに対して敗戦国ドイツ生まれのOhmやWeberが選ばれる可能性はなかっ
たことでしょう。
1948年、MKS単位系は
MKSA単位系と修正されて世界共通の尺度となりました。そ
の後の1954年に
熱力学温度Kelvinと
光度candelaが追加されて六つの基本単位系とす
ることが採択されました。さらに1960年には国連機関の下部組織の管理事項とされる
SI国際単位系(
Systeme International Unites)に名称変更がされました。 SI国際単位
系はさらに1971年に
物質量モルmoleが追加されて
現行の7基本単位となりました。現
在では
放射線分野の実用単位系(Sv, Gy, Bq, rem, Clなど)もこの7つの基本単位に組
み込まれる従属単位として定義されています。
書き始めると色々書きたいことが増えて今回も長文となりました。 次回も今回の
続きです。次回は
Olivar Heaviside(1850-1925)が提唱し、実現した
有理単位系
(
Rational unit system)などについて綴ることになるでしょう。
(2025年6月22日 長谷良秀 記)