電気技術解析記述法発展史(その13)
工学の巨人 Oliver Heaviside (1)
No.61とNo.62では19世紀から20世紀半ばまでに展開された電磁気科学の進歩について
単位系の形成過程という切り口から記してきました。 その中で極めて大きい役割を演じ
たのが
Olivar Heaviside(1850-1925)でした。またHeavisideは Maxwellが公表した電磁波
理論を最も早く理解し、さらにMaxwellが理論導入にあたって記した10個以上の関係式を
過不足なく整頓して<<Maxwell の四つの方程式>>として提示した人物でもありました
(No.57~59)。 Heavisideが達成した偉業はこの二つに留まりません。 たとえば彼は有線
電信分野で重要な電信方程式を今日的な高精度の式に書き代えました。 彼の創案したヘ
ビサイドの演算子法は電気や機械の工学的解析を著しく容易にしただけでなく、後年には
過渡現象解析や自動制御に欠かせないラプラス変換法や伝達関数制御法に繋がっていきま
した。電離層の存在予測も彼の功績ですね。もちろん私はこの技術記述史徒然草で
Heavisideのこれらの偉大な業績についても書くつもりです。
今回はHeavisideが当時の
電信方程式を今日私たちが知る形に書き換えた偉大な業績につ
いて振り返ることとします。そのために19世紀後半時代の電信技術について少し寄り道し
て解説が必要でしょう。 電信技術の実用化と事業化で大きい足跡を残したCharles
Wheatstone(1802-1875)とそしてそれを理論面で支えたWilliam Thomson(Lord Kelvin)の
再登場です。
63.1 Heaviside による電信方程式の書き換えおよび無歪伝送理論の提唱
George Stephenson(1781-1848)が1825年に発明した蒸気機関車が早速実用化されて最
初の蒸気鉄道が1830年にロンドンに開業し、これを機に1830年代に欧米で鉄道が急速に普
及していきます。 またこの時期は英仏など欧米列強による植民地政策と呼応して海洋貿
易は拡大一途でした。 貿易船も帆船から気帆船へそして蒸気船へ代わっていきました。
陸上においても海上においても効果的な通信手段が切に望まれる時代でした。この時期に
何人かの科学者が様々な電信機を考案しましたが、ロンドン生まれの
Charles
Wheatstone(1802-1875)が開発した方式が1837年にロンドンとバーミンガムを結ぶ鉄道に
採用されて陸上電信実用化の嚆矢となりました。
電圧源をつないだ電線回路で回路をon-off切替えて 信号0 or 1とするのです。 その初
期段階では4本のケーブル線を用いて切り替える「4線方式」でしたが、後にWheatstoneの
発案で1線式でノッチ切替式(orキーボード式)という斬新な方法に変更されたといいます。
Wheatstoneはこの鉄道事業に発明者と 事業者の二役でかかわって有線電信技術の発展に
大きく貢献しました。この時代の通信機とは概ね図63.1のような構成であったと考えてよ
いでしょう。
Telegram(日本語では
電信と訳されました)は今様に言えば
超低速度の有線
デジタル(2進法)方式ということになるでしょう。 Telegramは1840年以降に欧州とアメ
リカで急速に普及し、技術的にも次々と進化を遂げていきます。たとえばニューヨーク州
立大教授の
Samuel Finley Morse(1791-1872)は1837年に電磁的に高速オンオフ行う方式を
開発し、また彼はソフト面では
モールス信号方式と称するアルファベット文字対応の伝送
方式を創案していわゆる文字伝送方式のデファクトスタンダードを確立する立役者となり
ました。1855年ころには既に1分間に300文字の伝送が可能となっていたようです。
Wheatstoneも電信機に様々な改良を加え、特に1858年にはパンチングテープ方式(紙テー
プにモールス信号の1-0対応の穴をあける)を実用化させました。この方式は1970年代ま
で使われていましたね。

ちなみにWheatstoneが発明したホイットストーンブリッジ測定法は電信ケーブルの直列
抵抗あるいは直列インダクタンスを測定するために開発されたのでした。当時は電線の直
列抵抗
R とインダクタンスL(あるいはリアクタンス
X=ωL)は知られており、送信端
と受信端をつなぐ2本の電線を往復接続してその直列抵抗
R とリアクタンス
X=ωL を正
確に測定するために考案された測定回路です(
備考2を参照)。
1880年当時、有線の発信端でステップ状信号電圧を課電発信しますがそれが波形崩れや
減衰で遠距離に届かない。電線の距離に比例して直列抵抗
R が大きくなるからと理解され
ていました。
ここでWilliam Thomson(Lord Kelvin)が再登場します。電信回路の理論化にいち早く取
り組んだのがThomsonです。 彼は海底ケーブルについて定数
R と
C だけからなる次式
を与えていました。

Kelvinがケーブルのキャパシタンス
C を既に織り込まれていたことはすごいことです。
当時は
C を
K で表していたので
Kelvin’sTelegrapher’s Law(通称
KR-law)と称して電信
事業に欠かせない理論式として重宝されていました。今様に言えば分布定数回路の単位長
さ当たりの4っの定数
L,
R,
C,
Gの
Lと
Gを欠いた式です。
このような時代背景にあった1887年にHeavisideはが画期的な理論を提唱しました。彼は
第1に電信回路を4っの定数
L,
R,
C,
G で表す理論式で表す方法を示しました(図63.2)。
第2にもしも
R/L=G/C の条件が成立すれば無歪伝送が可能になることを示しました。第
3に実際の電線の定数が
R,
L′,
C,
G)で
R/L'≠G/C であるならば
L=L'+ΔLであるよう
に
ΔL (Loading-coilと称しました)を追加すれば無歪の長距離伝送が実現できることを見
出しました。20世紀の通信技術の常識知見ともなった偉大な技術理論です。
備考1で詳し
く解説しますからご覧ください。
Heavisideは1887年の論文<The Bridge system of Telephony>を公表してLording-coilの
採用を電信局の上司に働きかけましたが採用にはなりませんでした。 「現状で遠距離電
信ではその直列抵抗が大きくて受信ができていないのにさらに直列にコイルを追加するな
どもってのほか・・」という一見尤もな理由で実証試験も行われないままに没になったこ
とはHeavisideにとって大きい不運でした。
Heavisideの1887年論文は長らく埋もれて忘れ去られた状態になりましたが1897年にAT
&Tの技師によって偶然発掘され、それにいち早く飛びついたアメリカの学者
Mihajlo
Pupinがちゃっかりと直列補償コイルの理論特許と製法特許を獲得してしまいました。
その後はピューピンコイル(Pupin-coil)と称して一挙に普及していきました。
蛇足ですがこの直列補償コイルの理論は今日では有線・無線や光ケーブル通信分野の変
復調回路設計,さらには半導体チップの回路設計技術をはじめとしてあらゆる電気・電子情
報応用分野の基礎技術として活用されているわけです。 そしてHeaviside の長距離往復
導体の分布定数回路に関する前述の理論自体は今日では当時からほぼ無修正のままで有線
通信,無線通信(たとえば導波管設計など)・光ケーブル通信などの分野、さらには高電圧
進行波電圧(サージ)技術分野、水利(導水管:Penstock設計など),建築・土木(振動理論な
ど)等々理工学の極めて多方面で登場する定番理論となっていますね。
余談ですが、1837年にFaradayがWheatstoneと一緒に訪米してHenryの実験室を訪ねた
時のことをNo.52で記しました。その時の写真をご覧ください。 Wheatstoneは1875に亡
くなるまで電信技術の実用化・事業化に大きい貢献をしましたが、FaradayやHenryもその
実用技術の進歩にいろいろの貢献をしています。たとえばアメリカではHenry が考案した
電磁マグネットが送信機に採用されて出力増加や高速送信などの性能向上に役立ちました。
19世紀前半では科学の対象であった電気が世紀後半の時代になって理学と工学の両面
で大進展の道を歩み始めたことを実感できますね。 ちなみに1868年が日本の明治元年で
す。「和魂洋才」にまっしぐらに突き進んだ明治初頭の時代、日本人にとっての洋才とは
真に蒸気機関(鉄&石炭)と電信技術であったわけです。電燈やモータの実用化は1880年以
降のことですから。

さて前回No.62ではHeavisideの偉大な業績として
および<有
理単位法>について紹介し、今回は<往復導体を四っ定数と見立てた分布回路理論として
扱う進行波理論>、そして<補償コイルによる無歪み波形伝送理論>について紹介しまし
た。 Heavisideによる偉大な業績はまだまだ続きますが、その紹介は次回以降に記すこと
とします。そして後回しにしていた彼のミニ伝記について少々記すこととします。
63.2 孤高の天才Olivar Heaviside(1850-1925)
Olivar Heaviside(1850-1925)はロンドン生まれのイギリス人です。Maxwell が1831年
生まれですからHeaviside は19才歳下ですね。 彼はCharles Wheatstone(1802-1875)の甥
です。 Heavisideは叔父Wheatstoneの勧めで17才になった1867年からもう一人の叔父
Arther Wheatstoneの経営する電信会社で働き始めます。 そしてWheatstoneの勧めで2年
後の1869年から1874年までデンマークの電信会社Great Northan Telegraph社の電信技士
として働きます。彼はこの間にホイットストンブリッジ(備考2参照)を使った電信ケー
ブルの抵抗測定法に関する論文を発表してThomson やMaxwell の知遇をも得たようです。
1873年にMaxwell の著書「電気磁気論」を図書館で見つけて衝撃を受けます。彼は晩年に
次のように語っています。
「私はMaxwellの偉大な論文を始めてみた時のことを覚えている。私はこの本が最高
に偉大で・・計り知れない可能性を忌めていることを知った。そしてこの本をマスタ
―しようと決意した。・・・Maxwell の理論を理解できるまでに数年はかかった。・・
そのころからMaxwell の論文はいつも私の手元に置いて・・。」
しかしHeaviside は高級学校で勉強していません。1874年に電信技士として働くのをやめ
てロンドンの実家に戻り独学で勉強に打ち込みます。 独りあばら家に住んでものすごい
勉強をしたのでしょう。 今回紹介した<往復電線の移動電荷に関する進行波理論>も、
また既に解説した< Maxwell四つの式の整頓>という業績もHeavisideが殆ど独学で成し遂
げたのですから驚きです。 Maxwell の電磁波理論の最大の理解者であったことをNo.60
で紹介しましたが、Maxwellが数式で描いた宇宙空間を進む電磁波の姿をHeavisideは電信
の姿と重ねていち早く理解することができたのでしょう。
余談ですがHeaviside は生涯を通じて働いたのは上述の6年間だけです。ロンドンの実家
に戻った翌年の1875年にWheatstoneは死去します。両親も亡くなって後は孤独で質素な生
涯を送りました。 Heaviside の話は次回以降まだまだ続きます。
備考1:電線(分布定数回路)の進行波
図63.1の分布定数で送信端方向から矩形波信号 v(t), i(t)が進行しているとします。
この時送信端からの距離 x と x + Δxの微小区間で次式が成り立ちます。


式(2c)と対比して式(3d)では電圧進行波 v(x,t) も電流進行波 i(x,t) も減衰項 e-αt によって減
衰していくが、電圧と電流の波形は崩れないことを意味しています。

海底ケーブル(定数R,L′,C,G)で R/L'≠G/C であっても片端に集中定数コイル
(Lording-coil)ΔL を追加接続して次式が成立するように補正を行えば無歪の電信が可能になるという理屈です。
ちなみに式(1c)で L=0, G=0 とすればKelvin のKR-Lawになります。Kelvinの時代に
は L と G を欠いた回路として電信理論を組み立てていたのでその中から無歪伝送のための
補償インダクタンスの発想が出てくるはずがなかったのです。

備考2)Wheatstone-bridgeの原理

(2025年8月22日 長谷良秀 記)