電力技術理論徒然草 No.64 (長谷良秀) 
     
電気技術解析記述法発展史(その14)


工学の巨人 Oliver Heaviside (2)

  Heaviside の話はまだまだ続けねばなりません。今回は彼が“発明した”演算子法、 Heaviside‘s Operationalsについてです。 まずは演算子what?から始めましょう。

64.1 Heaviside Operationals(演算子法 )の平易な解説
  Heavisideが“発明”した演算子法について、独学で思考を重ねる若いHeaviside の頭の中 に入り込んだつもりで平易な解説を試みます。
1)LR直列回路の過渡現象
  まずは図64.1のようなLR直列回路のスイッチを閉じるときの過渡電流の計算を考えます (簡単のためインダクタンスLの磁束の初期値ゼロとします)。この状態の過渡電流は次 式の微分方程式を解くことで求められます。





ようやく解が得られました。式(1a)のように最も簡単な微分方程式でも数学的にまともな 方法で解けばその解(1d)を見つけるのにこれだけの手数がかかります。



ここでHeavisideの登場です。 彼は式(1a)に注目して電圧Eは時間 t=0 で回路に印加さ れることを表すために次式で定義されるユニット関数を想い立ちます。



ユニット関数 1 の表記は彼の発明です。彼はさらに微分記号 d/dtp=d/dt とおいてみ ます。すると式(1a)は次式のように表されます。



ここまでならば数学的に何も問題ありません。
Heaviside はここで大胆にも微分記号 p=d/dt の意味を無視して p を代数計算のように扱 うことを試みます。 式(2a)を書きかえると


彼はこのようにして得た式(2b)を数学的に正しく解かれた式(1d)と比較してみます。


そして式(3a)の対応があるので移行して書き代えれば次式(3b)の相互対応もあると考えます。


微分方程式(1a)についてHeavisideが p=d/dt と記号化したうえで得た p の式を大胆に代 数的に書き代えた結果からは式(3a)(3b)(3c)のようなと tp 対応関係が得られました。 彼はこれらの対応に興味を抱きながら“もっと複雑な回路ではどのようになるのだろうか?” と考えます。

2)LCR直列回路の過渡現象
彼は今度はより複雑なLCR直列回路(図64.2)のスイッチイン直後の過渡現象について考察 を始めます。


彼流に p=d/dt および 1/p=∫dt として上式を書き代えました。積分は微分 p の逆数 1/p としました。


以下、上式の分母を因数分解してp の根を解く形でひたすら代数計算を続けます。


p を代数的に扱って書き代えたうえで得られた t↔p の対応関係をもとに i(t)↔i(p) の 対応から上式(4f)を得たのです。2階微分方程式(4a)の解として上式を得たことになり ます。 式(4f)をさらに書き代えると


式(4g)は数学者が解いた式(4a)の解と一致しました。 この場合も彼の大胆な p の代数演 算解が正解を導きました。 そして次式の対応が成り立っていることも明らかです。


3)Heavisideの展開式
彼はさらに複雑なケースに挑戦します。今度は分母が p の3次式で、分子は p の場合の次 式(5a)とします。




式(5b)の右辺1,2,3項の係数が求まりました。 ここで再び式(3a)の対応を援用して式 (5b)代入して整頓すれば次式の対応が見いだされます。


式(5a)は分母が p の3次式ですが既に三つの根 a−,b−,c− が見つかっていて分母が因数分 解されている場合なので上述の方法で簡単に展開ができました。分母の次数がもっと大き くなっても分母が因数分解されている限りは同様の方法で展開は容易です。

実はHeavisideは次式の ように分母が多項式の形をしている p 関数の場合(分母が因数分 解されていない場合)でも展開できる方法を明らかにしています。

Heavisideの展開定理(Heaviside’s expansion theory):一般式


式(6a)(6b)を私たちはHeaviside展開定理と呼びます。先に説明した式(4b)(5d)もHeaviside 展開の簡単なケースと云えるでしょう。

補足)
実は分母が pn 階の式の根が複素根の場合でもHeaviside 演算子で正しい解を得 ます。私の丸善本,Wiley 本ではそのようなケースを示しています。興味のある方は そちらをご覧ください。

さて、Heaviside の演算子法に関する簡易な解説、何とか理解いただけたでしょうか。
彼は複雑な微分方程式を突飛な代数演算で得た対比を基礎として解く演算子法という手法 を得ました。 そしてその中で登場するユニット関数1(あるいは階段関数)やHeaviside 展開も彼の発明でした。

64.2 Heaviside,演算子法にまつわる悲運
  Heaviside(1850-1925)が叔父Chales Wheatstone(1802-1875)の勧めで1867年から6年間 電信会社の技師として働いたこと。その間の1873年、23歳の時に図書館でMaxwellの著書 “Theory of Electromagnetisms”に出会って独学で猛勉強を始めたこと。1874年に6年間務め た電信技師の仕事を辞して両親のいる実家に戻り、独り独学に打ち込んだこと。1884年に “Maxwell の四つの方程式”をまとめ上げたこと。1887年に論文“The bridge system of telephony”を発表してそれまでに知られていた電信理論“Kelvin’sTelegrapher’s Law(KR- Law)”を書き代える四変数LCGRによる電信理論を発表したこと。さらに直列補償コイル による無歪伝送理論を発表して、その実現に努めるも却下されて実現に至らなかったこと( 後の1897年にアメリカ人Michael PupinがPupin -coilとして特許化した)。これらの業績に ついてはNo.57~63でとびとびに解説してきました。さて今回はHeaviside の演算子発表の ことを含めて、彼のミニ伝記の続きを綴ってみます。彼は1874年、24歳でロンドンの実家 に戻って以来一度も定職についていません。 両親が没して後は天蓋孤独で粗末な家に移 り住んで生涯独身で貧しく孤高の生涯を送りました。1882年から1902年までイギリスの電 気技師連合組織が発行する業界紙“The Electricians”に定期的に記事を寄稿 して僅かな原稿料を受け取る程度であったと言われます。この彼はほぼ毎月1本、時には2本のペースで書 き続けて寄稿を続けました。それが1893年の初の著書“Electromagnetic theory”(著書1893) の下書きにもなりました。
  10才代に学校で三角関数と初等代数を習った程度の彼は24才で実家に戻って以降は独学 でものすごい勉強を重ねたことでしょう。彼による演算子、The Heaviside operational calculus のアイデアは1880年から1887年にかけて少しずつ形成されていったことでしょう。 彼はMaxwell の式を読み解く過程やまた自ら拡張した電信方程式の理論を考察する過 程で登場する様々な微分方程式に出会い、そしてその解を見つける過程で試行錯誤を繰り 返したことでしょう。彼の演算子法は彼の悪戦苦闘の足跡そのものと云えるのでしょう。

Heaviside は演算子法を下記の論文及び著書の中で発表しました。
ⅰ)“On operators in physical mathematics Part1 ”(雑誌論文1892)
ⅱ)“On operators in physical mathematics Part2 ”(雑誌論文1893)
ⅲ)“Electromagnetic theory”(著書1893)

それからが彼にとって大事件になりました。微積記号を p=d/dt1/p=↔dt と記号表示 するのは許されるとしても、その結果得られた p の式をあっさり代数的に使ってしまうと いう発想は当時の数学者や科学者にはあまりに突飛すぎる“基本的誤り”とし映りませんで した。その方法でいくつかのケースで偶然正解が得られたとしてもそれは偶然のこと。 手法自体が“無学者の浅知恵”ということで彼はアカデミー界で批判と冷笑の的となってし まったのです。 自尊心を傷付けられて失意の彼は寄稿記事で次のような言葉で反論を試 みます。
“Mathematics is an experimental science, and definitions do not come first, but later on. They make themselves, when the nature of the subject has developed itself.”

数学は経験の科学だ。定義は先にあるのではなく後から成立するものだ。そして自 然の姿が見えた時に自ずから生まれるのである。

Shall I refuse dinner because I do not fully understand the process of digestion?

消化の理屈が判っていないからといって夕食を断る事なんてあろうか?


彼の精一杯の反論も時の科学者たちには通用しません。 彼はさらに「科学は実用に役立 つ僕(しもべ)であってこそその意味がある」とまで書いて批判の火に油を注いでしまい ます。

  孤独な彼は益々孤独になり、引きこもり勝ちな生活となっていきました。
更に数年後の1997には腹立たしくも横取りされたも同然の“putin-coil”の爆発的な普及が始 まります。有線電信の超速進歩に加えてマルコーニに代表される無線通信の実用化も目前 に迫ってHeaviside の“無歪伝送”や“補償コイル”の重要性は益々重要な技術となりました。 補償コイルのアイデアはHeaviside が電信会社に勤務していた1870年代に思い付き、1880 年代に雑誌“The Electrician”に寄稿した無歪伝送理論の中で登場しますが、発表された後 も忘れ去られていました。この論文を発見したのはアメリカATTの技師だったGeorge Campbell、そして部外協力者のPupin 教授。1887年のことです。 Pupin 教授は Heavisideが発明したコイルの製造法迄特許にしてしまったといわれています。 後年にな ってATTはHeavisideの先願権利と引き換えに金銭提供を申し出たものの彼の名誉回復を伴 わない申し出をはねつけたとされます。

  話が演算子から脱線しました。Heaviside を失意に追い込むことになった演算子ですが、 20世紀初頭になって“科学者”というより“工学者”と呼ぶのが相応しい電気の専門家達が 色々の形で“演算子理論と実用の深堀り”に挑みます。そしてHeavisideにも名誉回復の追い 風が吹き始めます。

64.3 Heaviside演算子法の数学的名誉回復、そしてLaplace変換への道
  Heavisideの演算子法が再び脚光を浴び始めたのは1916年代以降であるといってよいでし ょう。その誕生後の実に20年近くも忘れ去られた状態が続いたのです。

  Heaviside’s Operationals が新たに蘇る大きい契機となったのはイギリス人数学者の Thomas J Bromwich(1875-1929)が数学誌に寄稿した下記の論文です。
「Normal coordinates in dynamic systems (1916)」

Bromwich は「Heaviside の演算子法が時間のt関数とp関数の可逆的な相互の写像あるい は変数変換の関係にある」ことを数学的に説明して、Heaviside の演算子法に数学的な根 拠を提供した最初の人です。 今度はBromwich の立場に立って簡易な解説を試みます。
  Bromwich は大数学者ですからフランス人大数学者Pierre Simon Laplace(1749-1827) によって導かれたLaplace変換のことを知り尽くしています。
それは次式(7a)で示されます。



t≥0 という条件付きで任意の連続関数 g(t)1 を考えます。 t<0 では g(t)=0 であることを 強調するために g(t)1 を付しておきましょう。また g(t)1t≥0 の範囲ではいかなるt に対しても発散してしまう(定まらない)ことはない関数であるとします。さて、この関数 g(t)1 の都合の良い写像 G(s) を考えたいのですが、 g(t)1 がいかなる t でも発散しないの だからその写像 G(s) (後の説明のために G(s) も或る s の時に発散してしまうようでは困り ます。 ところで私たちが通常扱う連続関数では指数関数 est が何度微分しても消えること はなく最も急速に増大する関数として知られています。言い換えれば、その逆数 e-st が最 も急速に減衰する関数であると言えます。

そこで、元の関数 g(t)1e-st 掛けた g(t)e-st1 であれば t≥0 の範囲で t を+∞ まで積分し たが発散してしまうことはないであろう。 Laplace はおそらくこのように 考えて式(7a)のLaplace transformを導いたのでしょう。
ところで実はこのLaplace は t から s への変換式は残しましたが s から t への逆変換式は残 しませんでした。 そしてその後の約100年間でLaplace 逆変換(Inverse Laplace transform)を導きだす数学者はいなかったようです。 Laplace逆変換式を始めて見事に 導いた20世紀初頭の数学者がBromwichだったのです。Bromwich の導いた逆変換式は次式 です。



上記のLaplace逆変換式は数学界ではBromwich積分といわれています。

さてBromwich になったつもりで考えてみましょう。
たとえば簡単な計算で下記三つの計算例を得ます。途中経過を省きますが興味のある人は 頭の体操で式(7a)を使って計算してみてください。



Laplace逆変換計算で得られた上式(8a)(8b)(8c)(8d)(8e)と先にHeaviside 演算子法で求め た結果式(3c)(3b)(3a)(4g)(5d)をそれぞれ対比して整頓してみてください。



Heaviside 演算子法で登場する p 関数はLaplace 変換で得られる s 関数と対比して形式的に p=d/dt が掛け算式として一つ加わった形になっています。 Heaviside変換はLaplace 変 換をもう一度微分した形になっていると言い換えてもいいでしょう。

元の式を f(t) であるとして、Bromwich はLaplace 変換式(7a)及び逆変換式(7b)に相当 する一般化された形のLaplace変換式とHeavisideの変換式を並べて次のように示しました。



言葉で言い換えれば、「Heaviside の演算子法で行われる t↔p の置き換え操作はLaplace 変換で行われる t↔s の1対1対応の写像(変数変換)と同等の数学理論に則る座標変換手 法と理解できる。そしてHeaviside 変換で得られる p 関数はLaplace変換で得られる s 関数 より一階微分されたものである。」

  Bromwichが1916年の論文で上述のような内容の論文を発表して以来、この時を契機に 欧米のそして日本でも電気工学界の状況が急変し始めます。
  第1にBromwich はHeaviside演算子手法の本質は式(10a)の変数変換であると喝破しまし た。しかし1916年時点で演算子解法について完璧な数学的証明を与えたところまでは到達 していません。そこで多くの数学者がBromwich に続く形でHeaviside 演算子に取り組み更 に深堀り研究を加え、あるいはより複雑な応用例を研究する契機となりました。 また Bromwich によってその逆変換式も明らかにされた結果、ほぼ100年間埋もれていた Laplace変換が蘇ってHeaviside 変換と並んで実用的価値の高い可逆的変換手法と位置づけ されて近代理工学の重要な技術手段となっていきました。
第2に、Heaviside の演算子法が“理にかなって安心して使える手法”として工学者の間で急 速に普及し始めたのです。 初期条件次第で解けないとされる条件でも解が求められるよ うな拡張演算子法も登場します。 そして急速な普及にはもう一つ別の時代的追い風理由 も重なったのでしょう。この時代は第1次世界大戦(1914-1918)の時代ともかぶります。 鉱山・窯業・・鉄非鉄・機械・電気・化学・土木等に代表される工業規模が飛躍的に拡大 進歩を重ねる時代でもありました。 この時期、インフラや産業規模が急速発展して著し く大規模化する中であらゆる工学的対象について小規模な技術揺籃期のように安易な定常 理論だけでは済まされない時代になってきたのです。 “微分方程式と取り組むこと”、“過 渡現象に正面から取り組むこと”は電気・機械・土木・建築などあらゆる技術分野で必須の 条件と考えられる時代でもあったといえるのでしょう。
補足1)
Laplace とほぼ同世代のフランス人大数学者Joseph Fourier(1768-1830) の導いた Fourier 変換式は次式です。


Fourier 変換式はEuler則 ejωt = cosωt + sinωt に則って虚数化された変換式ですが、 この場合にはある種の f(t) に対して写像が発散して定まらない不都合があります。 Laplace変換はFourier変換の s = σ + jω の複素形にまで拡張した変換法であり、 それによってFourier変換の発散という欠点を取り除いて「t≥0 の範囲でいかなる 連続関数 f(t) にも対応できる変換法」と説明されますね。

64.4 Heaviside演算子法の悲運。そしてLaplace変換の大隆盛時代へ
Heavisideの演算子法がBromwich の1916年論文以降に徐々に名誉回復していきます。第 1次大戦(1914-18)終結で一息ついた欧米で、そして日本でも1925年ころからHeaviside演 算子法を活用した様々な応用研究論文が急増します。回路解析理論や進行波理論が電気工 学の大きい一分野として変貌していきます。しかしながらHeavisideはその恩恵を受けるこ となく殆ど引きこもった状態のまま1925年に75歳の生涯を終えます。

  さて、1925年以降の電気工学においてHeaviside変換とLaplace 変換がどのように扱われ てきたかについて私の私見を交えた解説を試みます。様々な応用分野で登場する微分方程 式を演算子法で簡潔に解くという観点ではどちらを使っても大同小異の演算プロセスで解 くことができます。1925年から1950年の25年間ではHeaviside 演算子が圧倒的に多く活用 されました。 Laplace変換はいわばBromwichが再発掘して逆変換法も示して工学的な活 用に道を拓いたばかりです。対するHeaviside演算子は初めから“使うと微分方程式が簡単 に解けるとされる潜りの道具”であったのがBromwich の論文で一躍“公認ツール”として知 れ渡ったのです。 ですから1925年から1950年の四半世紀ではHeaviside 演算子が圧勝で あったと言えるでしょう。

  第2次大戦(1945)を経て戦後の1950年代を迎えました。このころまでに電気工学はあら ゆる工業分野のインフラ技術として著しく進化しました。 1950~1975年の四半世紀は現 代につながる“電気の時代”となりました。Automation自動制御という分野も生まれました。 半導体やパワエレ技術も電気技術の最前線に加わりました。さてこの時代、Laplace変換 の知名度活用度が徐々に向上していき、両変換法がしばらくは並走状態となりました。 そして1970年代になると徐々にLaplace変換が主流となり、Heaviside法はやがて殆ど使われ なくなりました。
  なぜLaplace変換がHeaviside 変換を凌駕するにいたったか? 端的に以下の式からその 理由を見出すことができるというのが私の理解です。

簡単な例としてユニット関数の場合、


f(t) はHeaviside 変換では F(p)=1 に対応し、またLaplace変換では G(s)=1/s に対応して いるのでした。一見して前者の方が素直な対比関係です。



  ここで図64.1を参照しつつ現実の物理現象に目を向けてみましょう。ある機構(回路で もよい)で t=0 にてスイッチインしてステップ状の入力(電圧など)1 を加えるとその機 構の出力は指数関数(exponential)的な f(t)=1-e-at の経過を経て t→ 大で定常値1にな る。 このような経過をたどる現象は自然現象でありふれたパターンです。ここで f(t)=(1-e-at) に対応する両変換は下記の如くでした。


入力 f(t)=1 が加わるとその出力が f(t)=1-e-at となるようなありふれたt領域の自然現 象をLaplace領域では「ステップ状の入力が伝達関数の機構に加わるとその出力は 両者の積として得られる」と説明できるのです。 ちなみに伝達関数と書き代えられてゲイン1、時間遅れ 1/a の1次遅れ伝達関数です。
Laplace変換ではありふれた自然現象について
(入力s関数)×(伝達s関数)=(出力s関数)

というきれいな関係式で表す力を秘めていたといえるのでしょう。 他方のHeaviside 変 換では同じありふれた自然現象が(入力1)×(伝達 p 関数)=(出力 p 関数)という形に なってしまい、入力変数 p が埋没してしまいます。 両変換方式は些細な差があるにすぎ ず数学的には全く同等の位置に並ぶ変換方式です。しかしながらその些細な差が工学的な 使い勝手と云う意味で徐々に大きい差になっていきました。 そしてLaplace変換法は 1950年以降に爆発的に発展した自動制御理論と極めて高い親和性を発揮して融合してしま ったのです。 その勢いと並行してHeaviside変換はLaplace 変換の陰に隠れるようになっ ていったといえるのでしょう。 Heaviside の演算子は今ではLaplace変換の陰に控える状 態になりましたが、20世紀前半の電気技術史上で果たした輝かしい役割は今も燦然と輝い ていると思います。

  最後に脱線して私の宝物の一つについて紹介したいと思います。私はもう50年ほども昔 の昭和40年代に神保町の古本屋で求めた自慢の一冊を持っています。
演算子法 原著者:ワグナー

(原著: Die Operatorenrechnung nach Heaviside K.W.Wagner(1939))

共譯:早田保實・林重憲・櫻井時夫・茂木晃・喜安善市(全420頁)

電気日本社:東京都神田区錦町三丁目

初版発行:昭和19年5月1日

第二版発行:昭和20年12月15日(2,000部限定) 定価15圓

  高名なドイツ人数学家K.W. Wagner が1939年に出版した名著が当時日本の電気工学を 代表する五人の方々によって全翻訳されて太平洋戦争の終戦直前昭和19年に出版され、第 2版が終戦直後の昭和20年12月に出版されたのです。 まずはその中身です。Wagnerは徹 底的に高等数学を駆使してHeaviside 演算子の理論とその広範な応用について徹底的に高 等数学理論としての解説を展開しています。各章毎に多数の関連文献が詳しく網羅されて います。1916~39年の時代に英語:ドイツ語等で出版された本と論文が参考文献として約 200本網羅されております。HeavisideやBromwich らに交じってBorel, McLaschlan, Leipniz, Hunbert, Carson, van del Pol, Berg, Doetsch, Pollaczek,そしてWagnerなど当代一 流の数学者が名を連ねており、S.Koizumi, T.Sakurai, S Hayashiなど日本人の論文も数本含 まれています。この本をめくると大正末期から昭和戦前・戦中のこの時代にHeaviside演算 子が電気技術アカデミーのど真ん中にあったという実感が伝わってきます。とにかくこの 本は電気工学技術史的な名著なのです。
  この本が私の宝物であるもう一つの理由。それは私の所持本が昭和20年12月15日発行の 第2版ということです。敗戦直後の昭和20年12月出版ですから今では考えられないほどの 粗悪紙に小さな文字で方程式が満載されており、訳語もやや文語調です。当時は紙不足で 一流新聞ですら朝刊1枚・夕刊なし、小中学校の教科書すらない時代でした。そのような 戦争末期と終戦直後の混乱のどん底の時、これほどの本が何処でどのように印刷されて出 版にこぎつけられたのでしょうか? 多数の関係者による復興日本を目指すものすごい執 念があったればこそ。 日本史上最悪の時代に日本の電気技術を牽引した当時の人々の執 念を感じて感銘を受けざるを得ないのです。 赤茶けた粗雑紙による宝本の表紙と目次の 一部を貼り付けます。 先人達の想いを少しでも読み取っていただければうれしいです。


今回はここまで、次回もう一度Heaviside について書かねばなりません。

(2025年8月22日 長谷良秀 記)
 
     
   
     
 
 
 
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