複素数演算記号法(Complex Notation)について
前々回No.4 と前回No.5 で電界と磁界、電圧・電流・パワー、比例係数として定義される定数
R ・
L ・
C と抵抗・リアクトル・キャパシターの本質について復習をしてきました。 いよいよ電気技術者
が三相電気回路の電気量を定量的に扱うための必須理論tool、七つ道具とその使い方のコツについて皆
さんの参考になりそうなことを中心に時に脱線しつつ気楽な読み物として書きつづってみたいと思います。
一番目の理論tool は誰もが知る
複素数演算記号法(Complex Notation)です。
jω に象徴される複素数計算では回路要素
R・
L・
Cをそれぞれ
R・jω
0L・1/jωC(ただしω
0=2πf
0,
f
0=50Hz or 60Hz)として50/60Hz電源回路の電圧
v・電流
iの定常値を求めます。これは電気科卒
の誰もが知っています。 さてそこでYes or No の2 択クイズです。
Q1. 過渡現象計算の場合には jωL、1/jωCなどと置けないので複素演算は使えない。
Q2. 高調波が重畳する回路の演算では電源周波数以外の周波数成分が含まれるので複素演算は使えない。
Q3. 直流電源回路の場合には複素数演算は使えない。
6.1 オイラー(Euler)の公式
電気回路の複素演算の原理を説明するためにはまず数あるオイラー(Leonhard Euler:1707-1783)の
公式の中で最も有名な次の公式を知っておく必要があります。

そして上式の特別な場合として
φ=π/2 とすれば

式(6.1a)はFig.6.1 の極座標上のunit Vector として理解することもでき、また下記の関係が成立します。

式(6.1b)は数学上の重要な定数
π=3.14・・・, e = 2.718・・・, j=∠90°がコンパクトに組み込まれた式
として一般読み物のタイトルとしても登場しますね
6.2 R L 直列回路の過渡現象計算
Fig.6.2 のように周波数
f0=ω/2πの交流電源
eS(t)に
R・
L
要素直列の負荷回路を時間
t=0にSwitch-in して接続する場合の過渡現象について考えてみましょう。Switch-in された後のt≥0の全時
間帯において次式が成り立ちます。

ここで交流電源電圧
eS(t)は正弦、余弦いずれにても表現できますのでこの両方で表現してみます。

蛇足ですが
sin(ωt+α) cos(ωt+α-90°) + = + − ですから
Case2はCase1でαをα-90°に置き換えた表現にすぎません。
さてそこで次にはCase3 としてCase1 とCase2 を(Case1)+ j (Case2)の形で合成する場合を考えます。

式(6.5ab)は複素数電圧
ėS(t)と複素数電流
i(t)(複素変数であることを示すために上に dot を付して
います)の微分方程式ですが、左辺・右辺の実数部同士はCase1 の式(6.3a)を、また虚数部同士はCase2
の式(6.4a)の関係を保存していることは明らかです。 換言すれば電源電圧として実数表現のsin or cos
に代えて複素電源
ėS(t)=Eej(omega;t+α)として与えて元の微分方程式自体が複素微分方程式(6.5a)になってい
ます。 この式を解けば、複素解が得られて、その実数部は式(6.3a)の解に、また虚数部は式(6.4a)
の解になるわけです。
実際に式(6.3a)or(6.4a)を解くのは大変ですが 式(6.5a)は(途中経過は省きますが
Laplace 変換を使って)
簡単に解くことができて次式となります。

Euler 公式で展開すれば

当然のことながら、上式右辺の実数項及び虚数項がそれぞれCase1 とCase2 の電流解の式(6.3b)と(6.4b)になっています。
6.3 R L 直列回路の定常計算
ところで、もしも電流の定常解だけが必要で過渡項解が不要な場合には複素電源電圧
ėS(t)=Eej(omega;t+α)
を与えることでその定常解は式(6.6)の右辺第2 項(過渡項)を省いて

となります。この式をもとの複素微分方程式(6.5)に代入してみると

式(6.8)は次のように表現することもできます。

結局、インダクタンス
Lに対応して単位が[Ω]のリアクタンス
ωLと複素インピーダンスŻ= R + jωLを定義することに
よってこの
RL 直列回路の定常計算はjωを使った式(6.9)で簡単に計算できることになります。定常計
算では微分方程式を解く必要はなくjωの通常の複素計算で答えが出てしまうわけです。
6.4 複素演算の意義
電気系大学高専を卒業した諸氏には“学校で習ったはず”の複素演算について
RL直列回路の場合
を例にして復習していただきました。 回路がさらに複雑になっても事情は同じです。
さてそこで冒頭の
Quizにもどりましょう。
Euler公式のおかげで現象を支配する大本の微分方程式
自体が複素微分方程式に書き換えて表現できるのですから
Quiz Q1,Q2とも答えはノーです。
QuizQ3
はどうですか? イエスと答えそうな諸君、式(6.3a)で
ω=2πf=0Hzとしてみてください。 “直流電
源”とは“周波数がゼロの交流電源”ですよね。
Q3 の答えもノーです。 要するに、複素演算はどのような
回路現象解析にも使える必須の理論ツールなのです。 必要ならば
MHz,GHzオーダーの現象や不規則
なサージ現象にも使えるわけです。 蛇足ですが、現象を複素領域で扱うのは電気の世界に限らないよ
うで、例えば量子物理学では複素行列による理論展開が当たり前になっているようです。
jωに象徴される複素演算法
(Complex Notation)は
Arthur E.Kennellyと
Charles P. Steinmetzが
1893年にそれぞれ独立に発表した論文で初めて登場しました。 それ以前の時代ではごく簡単な電気回
路ですら
sin,cosの足し算掛け算が大変なために回路の式としての表現やその解を求める計算が事実上
不可能という電気理論工学の大きい障害がありました。 それが
jωによって一挙に取り除かれたのです。
そして今では電気工学の分野ではリアクトルやキャパシターの
jωL jωCとか、皮相電力
S=P+jQ[MVA]の概念をはじめとして、複素表記が基礎理論や電気機械の仕様表現のベースになって
いるわけです。目に見えない電気を取り扱う理論ツールあるいは理論言語として
Complex notationの果
たした役割の大きさを痛感せざるをえません。
最後に昔のエピソードを一つ。大正末期から昭和戦前に日本の電気・電力の発展に大きく貢献された技
術者で別宮貞俊(ベックサダトシ)という方がおられました。この方は対称座標法を世界に先駆けて本にさ
れた方であり、また電気試験所の技師から転じて戦時中には住友電工の社長も務められた方です。 そ
の別宮さんが昭和10 年前後に出版された自著の中で次のように記しておられます。
「物事の全ては微分方程式から始まると思っている。(中略)
jを使って交流回路の實用問題即ち定
常状態を簡單に取り扱う方法が極めて無造作に初學者に教えられる。教えられると云ふよりは詰め
込まれると云ふ方が妥当であらう。かくかくの器械的方法によりて計算すべきだと初學者は器械的
に覚えて了う。 そして交流回路を決して理解しているのではないから、電流がベクトルであると思
ひ込んでしまう喜劇が起こる。インピーダンスがなぜ複素數となるか、その根拠は夢中で教わっ
て、・・・大部分はその根拠を忘れている。・・・記号法を一般化したスタインメッツもそれが俗化し
て了った現状を見てはスケネクタデーの墓場で苦笑して居られることと思ふ。」
さて皆さんのご感想は?
2020年7月7日 長谷良秀